春琴抄とホーキーベカコン!比較して読んでみた!
先日、『春琴抄』と『ホーキーベカコン』を読みました。2つを色々比較して読んでみたいと思います。
1 『春琴抄』と『ホーキーベカコン』
先日、谷崎潤一郎著『春琴抄』と、笹倉綾人著、原案(谷崎潤一郎『春琴抄』)『ホーキーベカコン』を読みました。『春琴抄』の内容は、叫びたくなるほど好きで、『ホーキーベカコン』の細かな描写と表現に、終始悶えてしまいました。その内容を簡単にまとめたいと思います。
「私」が手に入れた『鵙屋春琴伝』。そこには鵙屋琴の一生が、弟子の温井佐助によって記されていました。
大阪薬商人の娘、鵙屋琴は、才色兼備の女の子。明るい性格で、皆から慕われていましたが、9歳の時に眼病を患い、失明。それ以後、琴三弦の道へと進むことになりました。琴の身の回りの世話をする奉公人の佐助は、琴を賛美し、三味線を手に入れ、こっそり練習するようになりました。それをきっかけに2人の関係は「主と従者」、「師匠と弟子」へと変化していきます。
句読点のない文体が特徴で、最初は読みづらいのですが、リズムになれてくると結構くせになってきます。例えば、佐助に春琴が、三味線を教える場面で、佐助が全く覚えず間違えるので春琴が黙然としてしまったとき。
この一文に読点があるのは、最後のみ。この文体のリズム感に佐助の緊張が伝わってくるような気がします。
『ホーキーベカコン』は、原案谷崎潤一郎『春琴抄』としています。原文に忠実であったり、原文にはないところを表現していたりと、『春琴抄』愛、谷崎潤一郎愛を感じました。原文の耽美な文章の雰囲気を絵として表現していて素敵でした!
読んでいると、『春琴抄』とどこか違っているのか色々気になってしまったので、比較してみたいと思います!
2 比較読み① 時代・生活描写がリアル
『ホーキーベカコン』は、まず『春琴抄』の生活を描写しています。蛾の収集や奉公人の様子から、春琴がどう扱われているのかよくわかります。
「順市」と「私」のやりとりから、『春琴抄』の時代背景が語られていきます。(第二景)
天保八年に、すでに失明していた春琴と佐助は出会い、その時代は「大塩平八郎の乱」が起こっていたと説明がされていました。「大塩平八郎の乱」によって、商人たちは民衆の敵とされ、町に火を放たれてしまったのです。鵙屋は、春琴が天朝(帝)の覚えめでたいため、奇跡的に生き残ったのではとされていました。
『春琴抄』には、特に時代背景の説明はなく、春琴が生まれた文政12年5月24日から、数え年で考えれば天保8年で、9歳になっていますね。天朝(帝)に気に入られ、御前で舞を披露する予定であったというのは、『春琴抄』には見られませんが、春琴の美質を考えると、そういう設定があってもおかしくないです。
『ホーキーベカコン』を読んで、歴史的な背景を知ることができました!
3 比較読み② お母さんがめっちゃこわい!
『ホーキーベカコン』1巻では、母親のしげが暴走しています。
『春琴抄』にも根拠となる一文がありました。
母しげが具体的にどのように狂乱してしまったのかは、書かれていません。しかし、才色兼備で、子供の中で一番目をかけていた春琴が失明してしまったからには、その心痛は計り知れませんね。
『ホーキーベカコン』では、母しげが、春琴のために死んだ蛾を集めさせ、不浄を壺に敷き詰めた蛾の羽で包ませる場面が描かれています。どうやらこのエピソードは谷崎潤一郎の随筆「厠のいろいろ」から影響されているようです!読みたい笑
他にも、佐助が春琴に対して思っていることを語る場面は、狂乱する母しげに真摯に告げるシーンとして描かれていて、この表現もすごく迫力がありました。
これだけインパクトのある母親っぷりだと、のちのち出てこないのが不思議に思いますね。この後の展開で、いっぱいかき乱すキャラクターになったろうなぁと思いました!
4 比較読み③ 2人ってどういう関係なの!?
『春琴抄』を読んでて一番の疑問がこれでした。春琴と佐助の肉体関係です。
これを読んだとき、どういうことなんだろうと思いました。なぜ、佐助と性行為をするのか? 実は佐助が好きなのか? とくに理由が語られるわけもなく、子供は養子に出されてそのまま物語は進んでいきます。しかし、
最後の最後で、二人は、「二男一女」をもうけていたことが明かされます。ここでどういう関係なのかものすごく悶々としました。もちろん晩年はかなり親密度をましていた関係だとおもいますが…。
『ホーキーベカコン』はこの問に答えてくれていました…!
https://twitter.com/bekakon/status/1003231785784766464/photo/1
これを読んだときとても腑に落ちました。この理由なら、なぜ春琴が佐助と行為をしたのか、理解できたからです。『春琴抄』にもこんな一文がありました。
春琴の稽古におけるあたりの激しさを述べた一文ですが、この行為にもそういった背景があったのでしょうか。
5 比較読み④ 結末の違い
『ホーキーベカコン』の結末は、『春琴抄』と異なっていて、この違いに作者のこだわりを感じました。
春琴が、顔に湯を浴びせられて火傷を負ってしまった後のこと。佐助は失明し、それを春琴に告げる場面です。
ここは、私が原作の文章で一番好きなところです。春琴の素直な気持ちが一番よく表れているのではと思うからです。素直で優しい春琴の美質が現れのではと思います。
https://twitter.com/bekakon/status/1123141723809505280/photo/4
『ホーキーベカコン』ではこのあたりから変化していて、観念的な春琴を表現するのに、素直な春琴のイメージが異なっていたのかなあと思いました。最終的には、佐助の世界で仏のイメージとして昇華されていく様子には迫力がありました。
もちろん、これも本文に言及があります。
どの文章を強く受け取るかで、作品の読みが変わってくるのだろうなあと思いました。私は人間的な春琴がとても好きですが、佐助にとってはこれが一番幸せでもあったのではとも思いました。
6 比較読み⑤ ところであの2人って何?
本文の記述や想像して読むところを誠実に描いている『ホーキーベカコン』。『春琴抄』には出てこないキャラクターが気になってしょうがなかったです。絶対何か意味があるはずだ!と思って、調べてみました。
https://twitter.com/bekakon/status/1178329357955125248/photo/4
まず「順市」と「松子」。「松子」とは、谷崎潤一郎がもっとも愛した女性谷崎松子のこと。その松子に宛てた書簡で、奉公人のように仕えたいとして、署名を「潤一郎」ではなく、「順市」と記したそうです。(ウィキペディア 谷崎松子 から)
『細雪』や『盲目物語』、『春琴抄』もこの谷崎松子をモデルとして描いているそうです。
そして、列車で二人が話す「バアバラ」とは何なのか?
谷崎潤一郎が翻訳した「グリーフ家のバーバラ」のことのようで、影響を受けているようです。
バーバラはエドモンドの顔を強烈に愛していました。二人は愛を誓いあいますが、エドモンドは傷を負ってしまいます。バーバラはエドモンドを愛せなくなり、別の男性と結婚。のち、バーバラのもとにエドモンドの彫像が届くのでした。 愛とはなんなのか。それを問いかけた作品のようです。
そして、「私」。「順市」はどうして女装したのか? これは、谷崎潤一郎の『秘密』のお話からきているようです。
女装にはまってしまった「私」は、街へ繰り出していきます。昔の女とであった「私」は、女の秘密を暴いてしまいます。
最後の最後まで、『ホーキーベカコン』には、谷崎潤一郎作品の引用があり、作り込まれていていました!
7 まとめ・感想
『ホーキーベカコン』を読んで、谷崎潤一郎の他の作品をもっと読みたくなってしまいました! 比較して読んでいると、いろんなことに気づきます。他にも色々好きなシーンがあって、菊の話は一番好きかもしれません。作り込まれた作品は何度も読み返したくなりますね。
実際に、大阪を巡って、道修町へいってみたいと思いました。もっと色々大阪の文学とかも読んでみたいです。
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