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私が、わたしの代弁者を得てから

外に向けて張っていたアンテナを、自分の方向に向けるように仕向けて幾日。
スキーマ療法と共に明示されたモードワークに取り組んで、結果ようやく『自分の内面がどうなっているのか』に、意識を向けることができるようになってきました。
きっかけは、1歳頃の自分の写真を見つけた事から。写真の中の小さな私は、今みたいに外を、他人を気にしてはおらず、自分の世界の中でただ、無垢に“生きている”ようでした。

小さい自分との対話

こんな写真があったよ、との言葉と共に母から差し出されたのは、現像された写真の山。古いホコリまみれの小さなアルバムに収められたそれらの写真には、日常を切り取ったスナップショットが数多く収められていたのですが、とりわけ私の目を引いたのは、幼少期の自分の写真です。冬の空のもと寒くないようにと着せられた服によって全身もこもこに膨らんで、ボンヤリとなにかを眺めている、小さな、小さなわたし──。
その姿がしっかりと脳裏に刻まれてから、数日後。スキーマ療法の別枠、モードワークに取り組んだところ、今まで影も形も見えなかった内面が、子どもの頃の自分の姿となって、現れ始めました。ポジティブな感情も、ネガティブな感情も、その子どもの姿を象って、私の中に湧き上がってくるのです。
運転中に時たま遭遇する、強面のオジちゃんの威嚇するような表情にドキドキさせられた時なんか、胸中のリトル・夏莉は涙をボロボロ流して、やや癇癪ぎみに怖い、嫌だと泣き喚いています。
この間の誕生日、どこか行きたいところはあるかと尋ねられた時には、同じく胸中で身体をピョンピョン跳ねさせながら、「ここへ行きたい!」と何の恥ずかしさも抱かず主張する、無邪気な子どもを感じ取りました。
前述の状況では、あわや衝突されるだろうか、と恐怖を抱いた小さな私を大人の私が大丈夫と宥めてやり。後述の状況では、『申し訳ないな』『私には、そんな事をしてもらう価値などない』と考える陰気な自分を抑え込んで、小さい私の希望を通して、とことん叶えてやりました。
結果、今までとは明らかに違いが感じられました。以前なら1日中脳裏から離れなかった恐怖は、宥めた瞬間から少しずつ取り除かれていったし、希望を伝え、それを叶えてもらった幸福感は、二倍以上になって自分を癒やしてくれました。
小さなこどもの私が、胸中で私の心を率直に表している──その感覚を得だした頃から、「私は今、アンテナを自分に向けられている」という確かな手応えを感じ始めたのです。

自分の思いに正直に

それからというもの、私は常にその子どもに対して、いわゆる親目線で、とことん優しくあろう、味方であろう、という労りの気持ちを持って相対しています。子どもの言うことを、なるべく叶えてあげられるように、恐怖や不安からすくい上げられるように。
トラウマや相対する事案によっては上手くいかないこともあったり、その姿がそもそも捉えられないときもありますが、少なくともリトル・夏莉が見つかった時に、大人な私が親代わりになって言葉を掛けたりしていると、不思議と以前より苦しい気持ちや雁字搦めの感覚から、離脱したような感覚を味わえます。
某有名サッカー選手が仰った、リトル◯◯。その名言の真意とは少し違うかもしれませんが、当人の中の率直な思いの代弁者として、胸中に今も蹲っているものの正体は、なるほど小さい頃の自分なのかもしれません。
その子どもが訴える言葉に耳を傾けて、自分を苦しめない、窮地に追い込まない生き方を、これからも日々学んでいきたいと思っています。

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