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女子高生が拒食症になった話(3)

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今回は私が拒食症になったきっかけをお話したいと思います。
きっかけは、おそらく3つありました。
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(1)中学と高校のギャップ

高校に入学するまで、私は食べることが大好きな、よく食べる子だったんです。
小学生は食べすぎて太っていた方でしたし、中学生になっても部活でぷよぷよではなくなりましたが、代わりに男子に負けず筋肉マッチョでした💪笑

私は中学・高校と陸上部に所属し、短距離走をしていました。
中学3年生の時に運がいいことに、近畿大会・全国大会に出場できる機会をいただいたことで、高校も陸上競技に力を入れている学校に推薦で進学することになりました。

高校に入学後の部活動は、先輩も追い抜く気持ちで、やる気満々でした。
でも、力を入れている学校だった分、当たり前ですが、練習はきつく、上位を目指す意識が高い空気感、そして先輩・同学年の子は走りが速い…。

中学校では、私が一番速くて、周りも一目置いてくれてました。(調子に乗っていたかもしれません…😅)気持ちも練習も余裕がありました。

中学と高校のギャップが大きく、そのギャップが高校入学後、大きなストレスになっていました。

(2)容姿の指摘

前述したように私は太っていたわけではありませんが、小学・中学生の時は、男子に劣らず身体が大きい方でした。
小学校高学年頃に思春期が始まりだしてから、身体が大きいことを気になり始めたのですが、
特にコンプレックスだったのはお尻でした。
腰が悪いこともあり、いくら筋トレをしても引き締まらず、大きいことが悩みでした。

そこコンプレックスを持つ私が、高校の部活動で言われた一言が、拒食症の大きなきっかけになったと思います。

◉顧問から言われた一言

いろんな動きを練習に取り入れる中で、マット体操は柔軟性を高めるとして、前転をする機会が多くありました。
小学校低学年の体育で習う基本的な運動ですよね。
もちろん部員みんなが当たり前にできました。

しかし私は転がることはできても、起き上がることができませんでした。
当時は分かりませんでしたが、背骨がまっすぐのまま、丸まることができないのです。(妹も同じでした)
その姿を見て、顧問が言った一言は

「おい、お尻が大きくて重いからちゃうか。」

他の部員がいる中で です。

練習にマット運動があるたびに言われました。
当時、背骨が他の人と違うことを知らなかった私は、言葉をそのまま受け取り、
「私の体重が重いせいなんだ。もっと練習して身体を絞らないと。」
と捉えてしまいました。

また、高校の陸上競技の練習着は男女問わず、ぴちぴちのスパッツを履いていました。
身体のラインが見えるので、お尻にコンプレックスを持つ私にしてみれば、他の部員の前で見てあからさまにわかる容姿のコンプレックスをバカにされた気がしました
それが恥ずかしくてショックでした。
また、その時タイムも伸び悩んでいたので、お尻が重い・体重が重いことが原因と考えてしまいました。

◉部員に言われた一言

顧問から言われた後に、同学年の部員から同じようなことを言われたことで、私の心は挫けました。

顧問にお尻が大きいことを言われ、お尻を中心に鍛える練習を頑張っていました。
陸上の練習中、同学年の女の子と横に並んで歩いていた時に、投てき(ハンマー投げなど)をしていた女の子に言われた一言は、

「〇〇ちゃん、他の子よりお尻おっき!」

今から考えれば、気にすることなかったんです😭
元々デリカシーのない子でしたし、その子も投てきという競技をしているために身体も大きかったので、(良いように捉えれば)褒めてくれてたかもしれません。
でも、お尻がコンプレックスで顧問にも言われていた私にとっては、大変ショックな一言だったんです。
家に帰って泣いたほどです。

タイムも伸びず、お尻も大きい私はダメな奴。
今の自分を変えるには、減量しないといけない。

そこから自分の容姿・体重を否定し始まります。


(3)努力が実らないことから始まった自傷行為

そして、減量が始まりました。
ただ、前述したように、私が中学生で結果が出たのは、たくさん食べて筋肉が付き、エネルギッシュだったことが1つだったので、減量すればするのほど悪循環になりました。

減量すれば、動くエネルギーない

タイムが上がらない

ショックを受け、さらに減量する…

そうしてだんだん、パフォーマンスの向上のための減量が、自分を戒める自傷行為となっていったのです。

そのまま高校3年に進学する時には、何のためかわからないままご飯を食べずにいました。
3食ともご飯はひと口。おかずは野菜中心に。
少ないご飯の中、朝練・昼練・部活動・寝る前の筋トレを毎日続けていました。
そして、明らかに短距離選手に見えないほど、ガリガリに…。

タイムも小学生の時よりも遅くなりました。
顧問に「大丈夫か?」と声をかけられるたび涙が出ました。
明らかに心を病んでいました。

結局、最後の引退前の大会まで、痩せたままタイムも伸びずに終わりとなりました。

「部活動を引退すれば、減量も終わるんじゃないか。」

親も顧問も皆そう考えていたと思います。
しかし、引退した後は大学受験が待っていたのです。

私にとって減量は自傷行為に代わっていたので、受験勉強もストレスだった私は減量をやめられませんでした。

むしろ、さらにご飯を減らし、1日10時間勉強して部屋に籠る毎日…。
高校3年の冬には、生理も止まり、笑わなくなりました。

心配して声をかけたり叱る両親に反抗しました。
学校の授業中涙が出て、トイレで毎日泣きました。

勉強も糖分が必要なのに、ご飯を減らしていたので、集中ができず、当たり前ですが、受験もうまくいきませんでした。

自殺を何度も何度も考えました。
どうやって死のうかな。
どうやったら迷惑かけないかな…。


お察しするとおり、拒食症のせいで最悪な高校生活となります。
身体が自然とストレスから守ろうとしているのか、高校3年間の記憶がほとんどありません。

顧問と部員に言われた一言が、減量のきっかけになりましたが、
2人とも何気なく言ったことなんて記憶もないと思います。
人によっては、「そんなこと?」と思うかもしれません。
でも、容姿を指摘することは、他人を殺してしまうかもしれないのです。

前回書いたように、もともと私の性格が拒食症になりやすいのも事実です。
でも、私が経験したこと・私の性格は特殊なことだったでしょうか。

前回と今回で私が言いたいことは、
「一部の人しかならない」というのは間違い
ということです。
誰にでもなる可能性があるのです。

私の母は、私の痩せていく・病んでいく姿をみて、怒って泣いていました。
私の父にも、怒鳴られました。

「病気だということがわからないの?」
「この分は食べないともう倒れても知らないからね。」
「お母さん・お父さんも〇〇の姿を見てしんどいことがわからないの?」
「死ぬかもしれないのがわからないの?」
「子どもが産めなくなるよ。」
そんな痩せたいの、あほちゃう。

わかっています。言われたこと全部わかっているんです。
でも、どうでも良くなっていたんです。
どうしたらいいか自分でもわからないのです。

両親の発言はこのように書くと冷たいですが、
両親も私を救おうと必死でした。
でも、私にとっては食べさせようとしたり、怒ったりする両親の行動は逆効果でした。

そんな死ぬかもしれなかった私は、大学生になって体調が一気に戻りました。
そして今、家庭を持ち、子どもも産まれています😊

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今、拒食症になっている方へ
大丈夫です。頑張らないでください。

何が私を救ったのか、次回はそのことをお話しできればと思います。

ご拝読いただきありがとうございました。
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