幼少期からあった社会不適合な性格

生きていくのが億劫な今日この頃。

この心は最近出るようになったものだと一見思うのだけれど、実は幼少期からのものである。

つまり、元々生きるのに向いていない。

思えば、幼少期の頃から少しおかしかった。

今は昔、幼稚園の辺りの歳の私がよく思っていたこと。
↓↓↓


「一生幸せな気持ちでいられますように」

「将来は社会に出て働かなきゃいけないのか…嫌だなぁ…女子は専業主婦になれるから良かった。大丈夫…だよね?」

「自分はどうして存在しているんだろう…人ってどうして存在しているんだろう…今いる所はどこなんだろう…地球はどこにあるんだろう…今見ている・存在している景色は何なんだろう…死んだら自分のこの意識はどこに行くんだろう…もしも地球がなかったら…」

こんなところである。

まず。

最初の「一生幸せな気持ちでいられますように」なんてやつは一見可愛いものに見える。が、その動機は決して可愛いものでは無い。

"たったひとつ、心さえ幸せでいられれば、何が起ころうとどうでもいいのだ、幸せなのだ、私は苦しみたくない、幸せでいたい"

という理由である。つまり、当時から不安やらを感じやすかったので、こんなことをお参りや流れ星で毎回のようにお願いしていた。

負の方向からくる、結構悲しい理由である。


次の「将来は社会に出て働かなきゃいけないのか…嫌だなぁ…女子は専業主婦になれるから良かった。大丈夫…だよね?」

ってやつは、今から見ればわりかし変なことではないと思う。だが、幼稚園児というものは、「あなたたちの未来すなわち住む世界は、幸せで前向きなものなんですよ」という教育という名の洗脳を受けている真っ只中なのだ。なので本来、この時期は未来に対して1番前向きに考えることができなくてはならない時期である。

それなのに、物心ついたときから既に自らの生きていく社会に対して億劫で、恐怖を抱いて、不安に思っていたのである。当時は住む世界も視野も狭かったはずだが、社会というものが直観的に分かっていたらしい。(ここでいう「社会」とは、当時自分の今いる人間関係の拡大図だってことが分かってたんだろうね)この時点で嫌だと気持ちを持ってしまうことは、鼻から人間社会に合わない性格なのだろう。


最後のすごく長いやつは、1番考える回数が多かったと思う。(今でもたまに考えるよ)

これ、本当に不思議なことだと思いませんか?このことについて考えるとなんかすごく壮大な気持ちになっていたのだよ。。。

だけど、このことについて考えるということは単なる興味だけでなく、自分の存在やこの世界に対しての負の感覚がどこかにあったからなのではないかと思う。



こんなことを思ってしまう原因は、もちろんシジミみたいなこの☆性☆格☆である。

幼少期の自分というものは不安感が大きかった。幼さゆえの無知無力感と無能さから周囲から置いていかれることにとても恐怖を感じていた。
そして現実逃避のためか、空想癖が始まったのも物心着いたとき、まだ「空想」という言葉を知る前の年齢である。


家族関係も至って普通だった。
家族からも十分に愛されてきたはずなのに、母親からは抱っこもチューもして貰えていたのに、このようににいくら愛を示されても、それを信じきることができなかった。
自分自身のこともあまり好きではなかった。

もう、今振り返れば家族に申し訳ないと思えるくらいに、自分の存在に自信を持っていなかった。なぜこんなにも自己肯定感が低いのか不思議。

それでも、小、中としばらくその気持ちを感じることなく暮らすことが出来たのは、自分にそこそこの能力があって、友人が多くいたからである。

ここでいう能力とは、勉強や運動のことである。多少、悪い意味で人と違ってるなということは感じていたが、学校では勉強や運動がある程度こなせて、仲の良い人達と過ごせれば問題がなかった。また、いい人ばかりでコミュニケーションが楽しかった。そのため、ハッキリと「生きづらい」と思うことは無かった。

だが、小学生のころ、「私から実績を取ったら何も残らない」と思ったことは何度かある。

そして、環境のガラッと変わった高校から対人関係が億劫に感じるようになり、大学生になってより広い社会に出れば、もう自信を喪失するのはあっという間であった。



小中は何も考えずに暮らしてきたので、自分に足りないものなど高校から急に見えてきたものは多い。(ここは長くなるから割愛します)

そして、なぜ皆楽しく過ごせるんだろう、と思うようになる。実は幼少期についても、なぜ皆みたいに思いっきり楽しめなかったのだろうと思う。


つまり、あの頃から、根本的な性格は変わっていない。


特にここ1、2年ほどは、外見を磨き、社会に出て慣れてきて、交友関係も上手くいっている。少しは変われたと思っていた。が、社会に対する恐怖や不安は消えない。

人は好きだけれど、怖いのだよ。。人の集まりが。

集団の中で生きていくことに向いていないのだ。




前にも書いたかもしれないが、内向的で無能な自分には一生この苦しみが続くのだと思ってしまう。

「生きるだけで偉い」という言葉があるが、そりゃ偉いよな。社会で生きること、課されるできて当たり前の水準が高いもの。

はるか昔から宗教というものがあるが、それができたのも生きることが苦しいからという。


人ってなんで生きてるんだ?(極論)

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