見出し画像

子供時代の貧困と虐待生活 -エピローグ-

僕はその朝、ゴミ溜めのような家から逃げ出した。


就職氷河期の煽りを受け、まともな就職先もない状況でとりあえず生活をしないといけないので、条件がいいとは言えないがとりあえず派遣で働くことにした。
そしてその派遣会社は1ルームの寮を所有していたので、派遣の人に相談し寮を借りることにした。

ようやく僕は毒持ちの母親から逃れられる。毒家族から距離を置けることになったのだ。

入寮当日。CDラジカセと数枚のCD、そして数日分の着替えだけを持ってそっと家を出た。

僕は、この家には二度と戻ってこないと堅く誓った。二度とこの家族と関わりたくない。
二度とこの家には戻ってこない。


派遣ではあったが、工場で働き、自力で生活をしていく。
給料がいいわけではないし生活もギリギリだった。
交代勤務なので深夜に働いて朝帰るような生活だった。
それでも僕は、あの母親から、あの家族から離れて生活することがとても幸せだった。

初めての一人の春。
過ごしやすい季節に自然と笑顔になった。
ドロドロの心が初めて透明になった気がした。

一人になり、誰にも頼れない状況だったので、一歩どこかで人生を踏み外すと奈落の底に落ちるような危なっかしい状態だったけど、僕はそれでも幸せだった。

母親はもちろんだが、親戚とも一切連絡を取らない。
ようやく逃げ出すことができたのだから、この幸せを崩したくなかった。


僕は毒持ちの親に育てられ、毒持ちの家族に心を蝕まれながら大人になった。
いわば不完全なまま成人して社会に放り出されている。

今の日本の社会というのは家族がいることが前提の社会で、家族のいない人間にとっては非常に生きにくい社会だ。
家を借りるにしても会社に就職するにしても何かと保証人がつきまとう。
正月やお盆になると職場の人達から当然のように実家に帰るのかどうかを尋ねられる。
僕は毒親に育てられたから人付き合いがとても苦手なんだが、無理してでも社交的に振る舞わないと、職場で孤立してとても働きにくい状況になる。

毒親に育てられた人にとって今の日本で生きるのは、ハードモードのゲームをプレイしてるようなものだ。
しかも誰も助けてくれない。
それが今の日本の社会だ。

でも親が毒である、というのは実は珍しいことではないということを僕は知ることになる。
ネットが発達した2000年代、毒親に育てられて苦しんでるという人たちがその窮状を訴えている。

こういう家族がいるということを、もっとたくさんの人達に知ってもらいたいと思い、実際に毒親や毒家族に心を壊されかけた僕が、実体験を綴らせていただいた。
こういう家族は意外と多い。

日本は今、貧困が蔓延している。
フルタイムで働いているのに生活すらままならない人たちがたくさんいる。

そんな中で、家族との不和により一人で生活することを余儀なくされている人もたくさんいる。
家族を頼れない、誰にも頼れない、そんな人たちはホントにたくさんいる。


この日本には今、助けが必要な人達がたくさんいることをできるだけ多くの人に知ってもらいたいです。

おわり

もしサポートをいただけたら、ボクの記事はさらにおもしろくなり、おもしろい記事を書くために精進し、より一層脂肪を蓄え活動のエネルギーとし、仕事を辞め、病んだ心を癒やし、趣味を楽しみ、世界を旅し、港、港に妻を作り、グレートバリアリーフを望む丘に豪邸を建て、アナタに毎日感謝の祈(文字数