6月5日 ②

 失業給付認定時間の猶予は30分で、大通りを2度右折し損ねたものの、何とか10分を残して到着。反ってそれが良かったようで、一人待っただけで認定は終了した。
 検索をかけ、少しでも気になった求人を印刷。見比べて消去法で絞って行く。気になった求人…落ち着いて考えてみると、到底毎日通えそうにない遠方のものが8割。残り2割の応募状況を確認し、帰って再検討しようと順番を待った。
 空いているように思えたが、窓口に案内されるまで30分以上待つ。対応してくれた職員は丁寧すぎた。応募人数、選考中、不採用の人数をハイフンを入れて記すのが通例のようだが、ハイフンの下に【選考中】【不採用】と、手渡した求人票全てに漢字で記す。時間が掛かって仕方ない。
 返された求人票を一枚一枚見返し、再び篩にかけていたら、職員がこちらをじっと見つめているのに気付く。思わず見返すが、相手は目を逸らさない。不思議に思いながら再び手元の求人票を物色。しかし目を上げれば、彼はまだこちらを見つめたままなのだった。気持ち悪いな…と不審に思ったら、どうやら調査を依頼した求人票は全てこちらに返されていたようで、彼はすることがなくなって私の出方を待っているのであった。言わなかったが『何か言えよ!』と思った。おかしいのは私なのだろうか…。
 迷った挙句、近所の事務職に2件応募を決める。職種と通勤距離、勤務時間と休日に関してはほぼ満点だが、給料が50点。しかも、どちらも既に4人と8人が応募しており、〝不採用〟はいないが〝選考中〟とされていた。
 調べてもらった求人に、応募が0となっているものも2つあったが、いずれも遠方で、待遇はそこそこ良いが、二度と戻らないと決めていた経験職である。背に腹は代えられなくなり、そのうち戻る道を模索する必要が出て来るのかも知れない…と思いながら、慌てて後悔することからは逃げた。
 帰り道はくたくただった。そして頭がすっかり働かなかった。銀行に寄って、支払期限の迫った国民年金の支払いを済ませた後、買い物して帰る予定だったが、道を間違える。待望だった来週の外出予定に乗じようと、今回は銀行と支払いを断念し、買い物先へ向かう。何を買うのかはっきりしないまま買い物を済ませ、夕方、母を迎えに行く際、頼まれていた一番大きな荷物になるものを買い忘れたのを思い出す。
 2件応募したが、1件は担当が昼休み中で、30分後に掛け直すように言われた。待って再び窓口の順番待ちをし、職員に応募依頼してもらうか、紹介状のみ発行してもらい、後で自ら電話して応募依頼するかの選択を迫られ、後者を選んだ。予定以上に時間が経っていて、これ以上この場所で時間を割く気力がなかった。
 もう1件は週明けの午後に面接が決まった。
 車内で、既に応募したことを後悔し始めていた。いずれも望んでいた近所の事務職だったが、よく考えてみれば、畑違いな会社だった。どういうことを生業としているかなど事務職にはあまり関係ないのかも知れないが、業種を見てもまるでときめかない。反って気が重くなるほど未着手な世界だ。
 早々に面接が決まった1件は、以前も求人に出ていたが、応募を決める前になくなっており、短期間で欠員が生じたために再募集がかかった様子。知っていながら応募を決め、そこに拘って悶々としているのだから、我ながら厄介である。
 もう1件は、自分の選択とはいえ、応募の電話をわざわざしなければいけないこと、更に内容の明示されていない〝筆記試験〟があることに、後で気付いたのだった。どちらか選べるのであれば後者で勤めたかったが、果たしてこれだけのハードルを越えて、自分がしたいと思える仕事が出来るのか、どんどん自信が無くなっていった。
 その日、応募の電話はしなかった。
 迷い迷った挙句、面接辞退の電話もしなかった。
 元々、電話は苦手だ。仕事で必要とされる電話は、仕事だと思っているのと、〝働いている私〟という鎧のお陰で乗り切ることが出来る。それでもメールで済むのであればそちらの方が良い。相手が捕まらないことや、時間に余裕があるのか気に掛け過ぎる癖、そして相手の顔が見えないことで、表情から伝わる感情が読み取れない不安が、私を電話嫌いにさせている。切り時も難しい。私にとっては良いことがなかった。
 ストレスに弱いな…と感じる。その日は何も出来なくなった。
 応募して受かる保証はないが、受かれば就業を迷う気がする。一生続けたい職場である自信がなかった。
 受けなかったら悔やむだろうか?ただでさえしたい仕事に巡り合えない。気になって応募しても受からない。結局何も進まないまま、仕事から離れて3ヶ月である。失敗しても動いたことには変わりないのだから、やるだけやった方が良いのだろうか?何が一生の仕事になるかなんてわからない。しかしどうせ受けるなら2件とも受けたかった。
 しかし、ときめかない仕事のために、ストレスでしかない面接に出掛けて、気持ちの無い人間のために相手の時間を割いて、それって有益だと本当に言えるのか?
 迎えに行った母を乗せて、忘れた買い物に寄る。面接の話をすると、「もう、やめといたら?」と言われた。
 わかっていないところも多いが、子どもの真理を突いて来る鋭いところもある。産んで育てた…それを認めないわけにはいかない発言を時折するのだ。今回のそれがそうだとは言えないが、過去、何度も不本意な仕事に就いてぺちゃんこになった娘を見て来たのは事実。並々ならぬ覚悟で転職を決めたのを知っており、将来どうしたいかを解っているだけに、〝焦るな〟と言いたいのかも知れなかった。
 夜に考え事をしてはいけない。5年前、友人に言われ、その通りだと感じた。しかし考えたくなくても、疲れ果てて何も出来ない。かといって早々に寝床へ入ったところで、考えずに眠れるとは思えなかった。
 転寝を繰り返し、スマホでググる。就職に悩んでいる人の文章や、就職氷河期世代の特徴について読み進める。私みたいなのはいないが、しんどい思いをしている人は他にもいるのかも知れない。そして、就職氷河期世代の特徴に、自分が見事に当て嵌まっているのを知って、目から鱗というより、どう受け止めて良いのか反って複雑な思いに苛まれた。希望を持って生きて行こうとしているのに、私はこういう世代でこういう考え方に支配されているのだから、未来は目に見えている…そう言われているような気になったのだった。息苦しくなって、前向きな言葉を探し、占いに縋るが失敗。神の御利益に勿論即効性はなく、将来的に効果があるのか期待も出来ない。何をどうしたら良いのかわからなくなり、何度目かのどん底から、思い立ってリストアップする。
 
◎幼稚園教諭免許の更新講習について調べる(日程・費用)
◎収支のチェック
カード支払い分/バイクの自賠責保険/税金関係/生活雑費←預金/給付金/失業保険
◎どうする?事務職2件(両方辞退or応募電話後、面接へ)
 
 出来ることからして、最後の件は明日考えようと逃げた。


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