忙しい朝の交通ルール ①

 最寄り駅がない。直近でも歩けば30分。最寄りと言えるのかどうか…。
バス停はあるが、直近でも徒歩10分。しかも限りなく本数が少ない。我が家のある辺りは、自家用車がないととても不便だ。
 薄給人生なので、マイカーというものを持ったことがない。とても必要だが、私には贅沢品。切り詰め人生の母の財産を時折拝借する。
 依って、通勤は駅まで自転車かバイク。昔は自転車で暴走している姿を知り合いに見られては、大笑いされたが、通勤距離が伸びて以来、真夏の自転車で何度もぶっ倒れそうになったので、今はひたすらバイクに縋る。
 子どもの頃、バイクに乗るなら大型二輪だと思っていた。スクーターをカッコいいと思えなかったからだ。けれど今は乗っている。是非、大型二輪のバイクを買って、ぶんぶん乗り回したかったが、大人になって、すこぶる不経済だと知った。趣味の領域でもない。何とか手の届く贅沢品で、こけても何とか自力で起こせるスクーターが、身の丈に合っていると実感している。
 バイクも時折機嫌を損ねる。
 雨の日はエンジンがかからなくなる。道が混むのに、出発の時点で反抗されると、やたらと焦る。
 極寒の朝はウィンカーが作動しない。特に右折。100メートル以上走ってやっとカチカチ言い出したりするので、全く意味がない。
 いずれもバイク屋のメンテナンスを受けているが、バイク屋のおじさんの前では素直に言うことを聞いたりするので、いつも同じことを言われる。
「まぁ…ちょっと様子見てください」
 
 毎朝バタバタするのが習慣のようになっているせいで、駅までの道のりは半ば博打だ。『事故死するくらいなら遅刻する方がまし』
 焦ってスピードが出そうなときや、雨で路面が滑りそうなとき、念仏のように心の中で繰り返し唱える。もうちょっと余裕持って家出ろよ…。もう一人の自分にはずっと言われる。何故できないのかわからない。下手をすれば命に関わることなのに…。
 どん突きを右折しなければ駅に着かない。元々信号のない場所だったのだが、危ない、事故になる、と苦情を訴えた人が身近にいた。彼の意見だけが尊重されたわけではないのだろうが、少なくとも、苦情をうるさがったか、その意見に賛同する人がいたかだろう。数年前に信号が付いた。
 忙しい朝の赤信号は厄介だ。それで渋滞が引き起こされたり、電車を一本乗り遅れたりする。一つか二つ手前を右折し、綺麗な住宅街を抜ければ、信号のない道からバス通りに出られる。住宅街は公道なので、通り抜け禁止区域には指定されていない。
 ある日、信号が赤になったのが見えたので住宅街を抜けようと右折したら、サングラスをした派手なバイク親父に「オラーッ」と絶叫されて飛び上がった。道を対向してきたのだが、こちらが左端に寄り切れていなかったのかも知れない。心臓がばくばくした。
 別の日、同じように通り過ぎようと住宅街への道を右折。極力左に寄る。すると、またもや「オラーッ」。今度は私にではなく、同じように右折した車に、前回のサングラスの親父が絶叫した。
 皆、朝は忙しい。それにしてもバイク親父。車にも吠えるのか。強いな…と感心。
 また別の日、住宅街への右折後、大通りに出るための右折地点で、バイク親父が左折してきた。相手も急いでいたのか、結構道の真ん中を走っている。危ないではないか!
 自らの非に自覚があったのか、「オラーッ」とは叫ばなかった。サングラスのせいで、表情までは読み取れなかったが、不用意に頬から下の筋肉が緩んでいる。「あっ!」と思ったのだろう。私はしっかり左に寄っていたので、悪くない。
 危ないから注意喚起…。それは大事だが、もっと方法があるだろう。彼に叫ばれた人がどのくらいいるか知らないが、人間なので彼自身、慌てる日もあればマニュアル通りの運転が出来ないこともあるはず。まさに今回のように…。
 頬から下に反省の色が見られただけ、地獄に落ちるような極悪人ではないのだろう思う。しかしあまり派手なことをしていると、自分が失敗した時、大分恥ずかしい。反面教師にさせていただくことにする。

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