学校という場所

 学校が嫌いだ。今に始まったことではない。学生時代から嫌いだった。
 今、何故か学校で働いている。働くには良い場所のように思えたが、それは思い違いだったと気付く。学校が嫌いだったことを、改めて実感しているせいだ。
 学校が嫌いなのは、学校の先生が嫌いだからでもある。その影響力は凄まじい。今、私が見ている学校の先生というものは、私が通っていた頃、嫌いだった学校の先生と同じ顔をしている。偉そうに踏ん反り返り、態度だけで子ども達を威圧する。上から見下ろし、人前で攻撃する。
『そんなことで怒らんでも…』
 見ていて常に思う。萎縮している子どもたちの顔は暗い。
 私が小学生の頃もこんな感じだった。先生というのは陰湿だ。何が、何処が、そんなに偉いのかわからない。なのにとても偉そうだ。
 今日は、私に「また来るわ!」と手を振った子どもが怒られた。私も「待ってるわ!」と手を振り返したので、ある意味共犯だ。私にとっては何の違和感もないこと…それに対し、若い担任の女教師は少女に怒鳴った。
「誰に向かって言ってんの!〝先生〟やで?言葉に気を付けなさい!ちゃんと言い直して!」
 一年生の女の子はすっかり小さくなって呟いた。
「…また来ます……」
 情けなくなった。
 帰ってこの出来事を話すと、母は言った。
「先生は目上の人や…っていう礼儀はきちんとしといた方が良い。私らの時、先生とはそういうものやった。先生と児童や生徒が友達みたいではあかん」
 何であかんのか…?私によくわからないのは、私自身が〝先生〟というものを尊敬出来ずに育ったせいだ。年上で、指導者であることは解っている。しかし尊敬出来るかどうかということは、それに直結しない。母自身、私に当たった嘗ての〝先生〟達に、〝良い先生〟はいなかった…と理解しているはずではないか。
 尊敬しようがしまいが、〝先生〟は敬うもの…。そういうものでなければいけないのだろうか?偉そうにするなら、敬われるような手本になれと、望みたくなるのは私だけだろうか…?
 学校が嫌いだ。
 先生が嫌いだ。
 朝礼というやつで、何処かで発表する為の、詩の音読を鑑賞させられた。
私は発狂しそうになる。声を張り上げている子ども達の姿が痛々しい。やらされている感が否めない。頑張っているのだろうが、全く微笑ましいと感じない。感動もしない。したくもないことをやらされているだけ…そのようにしか見えない。
 自分が小学生だった時のことを思い出す。いつも何かを無理矢理やらされていた。それがいつも嫌だった。窮屈でしんどかった。全然楽しくなかった。
 音読を聴きながら、逃げ出したくなった。
『これが、子どもにとってどんな利益になるのか…』
 私には解らない。私は教員になる為の勉強をしたことが無いし、これからすることもない。私が受けたのは保育士と幼稚園教諭になる為の勉強。それらの仕事に就いても、現場では学校教諭のような〝先生〟がいる。私はそうはなりたくなかったし、なれなかった。
 天職を捨てての転職は失敗だったと実感している。
 毎日激務に疲れ果て、睡眠不足でふらふらしている。いつ逃げ出そうか、そればかり考えている。遣り甲斐も楽しみも何も無く、未来に何ひとつ希望が持てない。
 ヤバいぞ…私。馬鹿みたいに前向きに生きていたというのに、それが全く出来なくなっている…。
 時間の無駄遣いになることを恐れている。まだ一ヶ月も働いていないのに…。
 かちんこちんの敬語が飛び交う職員室が苦痛だ。
 笑わない職員が苦手だ。
 私に学校勤めは向いていない。
 いつ逃げ出そう…そればかりを考えながら、時折朦朧としている。
   

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