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世界を変えなくてもいい

大学4年生の頃、とても信頼していた大人のひとに、「あなたが生まれてきたのはなんでだと思う?」と聞かれたことがあった。

この頃のわたしは、アメリカから帰ってきて、大学生活も後半戦に突入しているのに就職活動もろくにせず、もやもやしていた。
アメリカでは学生が一斉に就職活動という風習はなく、卒業後のことが決まっている人もいれば、決まっていない人もたくさんいた。
そんな環境のなかに身をおいていたから、私も別に就活するかって思うことはなかった。好きでもない会社に勤めるのではなく、好きなことができるといいなあとぼんやり思っていた。何がやりたいのかはよくわかっていなかったけれど。

しかし帰国してみると、周りの同級生たちは当たり前のように就活を経験していて、もう内定をもらって人生最後の”夏休み”を満喫していたり、納得がいくまで就活を続けていたりしていた。これが、私がもやもやし始めた原因だった。アメリカにいた頃全く興味がないと思っていた就活。しかし帰国すると、「みんながやってる」っていうことだけで、たちまち不安になって、「あれ、ひょっとして私とんでもなく間違った選択をしているんじゃないか。」という思考でいっぱいになった。

やりたいことや好きなことを見つけて、それを仕事にしたい。と思っていたはずなのに、やりたいことと、やるべきこと(みんながやっていること)、の区別が、自分でもつかなくなっていた。好きだからやりたいのか、すごいと思われたいからやりたいのか、てかそもそもそれって本当にやりたいってことになるのか、ぐるぐる自問自答を繰り返したが、答えが出なかった。なんどもやっぱり就活したほうがいいのかと思ってエントリーシートを書きかけたりもした。

こうやって悩んで相談したら、その大人から返ってきたのが、上の問い。「どうして生まれてきたと思う?」
そしてこの問いの答えも、おしえてくれた。

「生まれてきたことに意味なんて、あるわけないじゃん。理由も使命もなんにもないよ。」

なんの夢もロマンもないことをいわれた私は、予想外の答えにそれはびっくりしたんだけど、同時にすごくホッとしたんだった。

私は、ありもしない期待やプレッシャーを勝手に感じて押しつぶされそうになって、見栄を張って社会的にインパクトがあることをしないといけないと思い込んでいた。立派になれなくて、がっかりされるのが怖かった。今思うと、大学に行ったこと、留学したこと、そのほかいろんなこと、全てが自分の意思だったはずなのに、知らぬ間に自分の重荷になっていて、自分のほんとの声がきこえなくなっていた。

「生きてることに意味なんてないんだから、別に立派なことしなくたっていいんだな。世界を変えるようなことができなくたっていいんだな。」
その人に言われたことで、やっと気づいた。変なプレッシャーを感じることなんてないんだって。
たとえがっかりされたとしても、がっかりさせておけばいいのだ。むしろ早めにがっかりされたほうがいいのかもしれない。余計なことを考えずに自分の人生を生きることができるから。

とにかく、人生において「すべき」ことなんて、1個もない。
生まれてきて、死んで行くことに意味なんてないんだから、だったらもっと気楽に、好きなことをやればいいんだ。

「世界を変えるな」と言ってるんじゃない。変えたいと思うなら、そういう人は変えればいい。別にほんとはそんなことしたくないのに、世界を変えられるような人間になろうとしなくたっていいってこと。何か凄いことができなくても、自分を卑下する必要はないんだ。それよりももっと、好きなことをしたらいいよってこと。

私には、世界を変えることはできないけれど、すごいことができなくたって、人間失格じゃあない。世界を変えることよりも、三度の飯をいかに美味しく作って食べるかのほうが興味があっただけの話。
ストレスやプレッシャーなく好きなことをやって、自分のまわりの小さな世界を幸せにできたらいいなあと思っているところ。


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