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天むすに夢見る旅人

道中でいただく食事に、皆さんは何を選ぶのだろうか?
私は大抵、新幹線に乗る時は天むすを選んでいる。

東京駅にはそれはもうたくさんのお弁当屋さんが
あり、毎度どれにしようかとぐるぐる歩きながら悩んでしまう。だが、いつも地雷也の天むすになってしまう。幼い頃に染みついた記憶や習慣というものは、恐ろしいほどに抜けないのである。

子どものとき、どこかに行くときはいつも地雷也だった。竹の皮で包装された、小さな5個入りの天むす。何回も食べたけど、あの紙の包装を破って、竹の皮を開ける瞬間は毎回楽しいものだ。開くと海老の香りがふわっとする。心が満たされる。早く頬張りたいという気持ちを抑えて、ちゃんと手拭きで指一本一本綺麗にして、一つ手に取る。

地雷也Instagramより


天むすはいつも母親と半分こしていた。といっても5個入りなので、きっかり半分にはできない。幼少期の頃はとても食が細く、1個、調子がよければ2個食べて、残りは母親が食べた。ところが小学校に上がった頃、学校給食(とても美味しかった)と成長のおかげで、無事、食いしん坊な子どもへと育った。その頃から個数が変わって、私が3個、母親が2個になった。まあ、母親の優しさというのもあったのだろう。あれから20年経つが、今度は母親がどんどん食が細くなっていく。それでも食べることが好きなので、今でも半分こすることが多い。私もダイエット中なので、ウィン-ウィンの関係である。

子どもの頃から夢だったのが、この地雷也の天むすを目一杯食べることだった。いくら子どもでも、そして親より多くもらったとしても、3個ではまだ物足りなかった。毎回食べるけれども、もうちょっと食べたいな、という寸止めのところで食べ切ってしまうので、いつももどかしい気持ちでいっぱいだった。別に母親がケチとかそういうことではなく、胃腸が弱い割にたくさん食べて体調を崩す私に配慮してくれていた、という訳があった。

それでも、あの天むすをたらふく食べてみたいという欲求は収まらない。ということで、大人になってからは地雷也の天むす5個入りを食べている。これで腹8分目、といったところだろうか。

ところが先日、9個入りを見つけた。白米、黒米、高菜ごはんの3種類。新たなる「たらふく天むす」に挑んだ。

地雷也の天むす

変わり種は初めてだったので、好奇心も相まってパクパクと一気に5個ぐらい食べてしまった。天むすというのは一個一個は小さいのだが、意外とお米と海老がギュッとしていて食べ応えがある。そんなこともあり、7個でギブアップしてしまった。残りは夜にでも食べようかと思ったが、隣でお稲荷さんを食べていた夫にまだ余裕があったので、食べてもらった。オーソドックスな5個というのは、案外理にかなっているのかもしれない(そもそも購入時に、お箸は二膳でよろしいですかと聞かれた時点で気づくべきだった)。

天むすに欠かせないのが、伽羅蕗である。お恥ずかしい話、伽羅蕗とは一体なんの食材でどう作られているのか、最近までよく分からずに食べていた。なんだか美味しいしょっぱい付け合わせという感じで、雰囲気で食べていた。そもそもこの名前が物物しく、これは伽羅蕗でそれ以上でもそれ以下でもない、と思考停止していた。伽羅蕗というのは蕗を伽羅色(茶色)になるまで醤油で煮詰めたものだ。なので普通の佃煮と、そうたいして作り方が異なるわけではない。伽羅蕗という名前が強いだけで。

食べる量を調整しながら
最後まで天むすと一緒に食べられるかどうかが
腕の見せ所


それにしても、新幹線でお弁当を食べるとき、列車が発車するまでは我慢するのだが、待ちきれず、東京駅出発後にすぐに食べ始めてしまう。そして大宮、西日本方面なら横浜を過ぎる頃には食べ終わってしまう。本当は栃木以降の青々した景色や、富士山とか、風情のある景色を見ながら食べたいものだ。皆さんはどうしているのだろうか。

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