夏の思い出と、未来のこと
昼下がりの気だるさと、畳の匂い、寝転んだ縁側の冷たさを今でも思い出す。
標高1,000mの山奥の村で育った。
実家は築100年で、古民家などというしゃれたものではなく、殆ど壊れかけの木造家を改築しながら使っていた。
夏はそれなりに涼しく、冬は歯磨き粉が凍るほどに寒い。
それが、30年前の我が家だった。
エアコンというものは終ぞ見たことがなく、どこの家に行っても扇風機ひとつで過ごしていた。窓を開けて日差しを遮りさえすれば、真夏でも爽快な風が通り抜けていったものだ。
放課後は校舎の裏の神社で缶蹴りをして遊び、夏休みは村の図書館や学校のプールで過ごした。それなりに暑かったはずだが、あまり記憶にない。
覚えているのは、畳に転がりながら好きな本を好きなだけ読んだ、何とも言えない幸福感だ。
時が過ぎ、当時とは何もかもが変わっている。
部屋の中は24時間エアコンをつけっぱなし。屋外プールなど、出ている頭だけで熱中症になってしまう。日中は、危険で外出できない。マスクをして外出すると、酸素不足で呼吸困難を感じる。
夏休み中の子供たちには、日中はできるだけ外に出て遊ばないようにと伝えている。当然、学校のプール開放もない。
胸を痛めるような災害も、毎年のように起きている。特に洪水や局地的豪雨などは、100年に1度の災害が毎年起きるような異常事態だ。
世の中に起こる総てのことは地続きだ、と私は思う。
北極の氷が解けるのも、北海道でサンマが採れないのも、山から猿が下りてくることも。感染症が蔓延するのも、戦争や飢餓が起こるのも、世界が独裁に傾いてくることだって、全部。
過ぎた時代に思いを巡らして感傷にふけるのも悪くない。
でも、一番大切なのは、今、この瞬間だ。
日々の生活の中の、些細なこと。例えばストローを使わないとか、牛乳パックをリサイクルに出すとか。
地球温暖化、なんて大きな話になると、無力感にすらかられるけれど、身の回りの小さなことなら、少し意識するだけでできることがあるのではないだろうか。
子供たちの過ごす未来がどうなっていくかはわからない。悲観的な見方もあるだろう。でも、自分はまだ、この世に生きて、息をしている。
大きな理想は語れなくてもいい。ただ今この瞬間から、ほんの少し意識するだけで、必ず何か変わってくる。変わってくると信じる。
あの夏を想い、この夏を過ごす。そして、未来の夏を想う。どの夏も、幸福であると良い。
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