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100点を120点にできるクリエイターしか残らない厳しい世界。0点を20点にできる全ての創作を賞賛する優しい世界。

2025年、AIを使いこなすことはクリエイターにとってもはや当たり前となった。いまから思えば、2022年のAIイラスト騒動が最初のきっかけだったように思う。あれをかわきりに、音楽、映画、ゲーム、多くのクリエイティブ領域でAIを活用しようという動きが加速していった。

わたしもいち早くAIを導入したひとりで、いまもなんとかクリエイターとして生き残れてはいる。しかし、残酷にも創作の世界は大きく二分されてしまった。

ひとつは
「100点を120点にできるクリエイターしか残らない厳しい世界」

もうひとつは
「0点を20点にできる全ての創作を賞賛する優しい世界」

である。

この2つの両極端な世界について、あらためて振り返ってみたい。

100点を120点にできるクリエイターしか残らない厳しい世界


AIによってイラストや音楽は、ものの数十秒で第一線のプロのつくったものと同じクオリティのものを生めるようになった。それは、「クオリティ」という観点だけから言えば100点の作品だった。

2022年当時は、技術にあかるく、新しいもの好きの人が遊びの延長で使っていた創作系AIだったが、絵師やアーティストなどプロが使い始めると次第にそれは作品の作り方自体を大きく変えていった。

いまでは多くのプロが最初にAIにテスト作品をつくらせるようになっている。まずは100点のテスト作品を100個つくり、それを一気に見て、聞いて、感性に合うものを見つけていく。クリエイターがいま届けたいと考えている方向性に近い作品を選んだら、それをAIに学習させて、アップデートされた作品をまた数点つくってみる。その繰り返しの中でクリエイターは作品自体に実際にペンを入れ、音を加え、自分らしい作品に仕上げていく。

この「仕上げ」の作業がプロの腕の見せ所だ。

編集して、調整して、仕上げていく、この作業が100点を120点にしていく。逆に、センスのないクリエイターはどうやっても100点を超えることができない。いくら手を加えてもそれは、WEB上にただようAIによって作られた大量の100点の作品と同じような作品にしかならない。

その仕上げの作業はさながら、プレゼント選びのようでもあって。なかみを価値あるものにするのは当たり前で、「どうやって選ぶか」「いまの流行りはどうか」「このタイミングで渡すとどんな気持ちになるか」「どんな装飾をするか」「どんな言葉を添えるか」、相手に想いが伝わるように演出して、受け取った瞬間、嬉しくてたまらなくなるようにトータルプロデュースする。

そんな人を感動させるセンスのあるクリエイターは、もっと次の作品を出してほしいと、より作品を求められるようになった。そして、このAIを使った作品作りは1人のクリエイターがつくれる120点の作品の量もまた増大させ、かつて数ヶ月に1本しか作品を世に出せていなかったある有名アーティストも作品を毎週出すようになった。「毎日作品投稿」なんて、少し前なら考えられないクリエイター泣かせの企画も目にすることが増えたくらいだ。

さすがにわたしくらいの肝っ玉の小ささだと、日に日に厳しくなっていく、ファンの目が少し怖くもあって、「これでほんとに公開してしまって大丈夫だろうか…」と、作る時間の10倍以上の時間なやんでいたりもするので、毎日作品投稿なんて到底できないのだが。

また近ごろ、オープンワールド系のゲームでは、フィールドやNPCのキャラクターがAIによって自動生成されるゲームが増えてきた。自動生成されるメタバースである。

かつてメディアアーティストの落合陽一が言っていたデジタルネイチャーは当然のように実装されて、ソードアートオンラインで描かれていたAIによって作られた仮想世界も現実のものとなろうとしている。

その自動生成されたメタバースも「見た目のクオリティ」の観点でいえば、100点のしろものである。ゲームクリエイターはそのメタバースの上にルールを定めて「ゲーム性」をのせていくことで、120点の面白いゲームにしていく。これもまたプロのセンスが問われる部分で、ゲームバランスの悪いただの100点のハリボテもまた大量に生まれているのが現状だ。

これはわたしのような絵や音楽といった固定化された作品をつくることより、難易度は高いように感じている。リアルの空間でサッカーや野球に代わる新しいスポーツを1からつくろうとしているようなものなのだから。その生みの苦しみは当然のものであろう。

0点を20点にできる全ての創作を賞賛する優しい世界


一方で、「創作活動」は初心者が余暇の時間に楽しめるとても良い趣味となった。この数年で創作をはじめるハードルが一気に下がった。

かつて、子どもがプログラミング学習をゲームのように楽しめるソフトがメディアでもてはやされた時代もあったが、いまでは、絵描き、作曲、メタバース作り、創作活動はだいたいのものがゲームになっている。

それはもちろん、100点と120点を競うプロのどろぬまのような世界ではなく、きれいなレールを敷かれた上で1点を積み上げていくことに喜びを感じる世界である。

空の色を塗れたらリワード(賞賛)がもらえる。ドラムのリズムを1つ追加できたらリワード(賞賛)がもらえる。大地となるブロックを1つ置けたらリワード(賞賛)がもらえる。

そんな1つ1つの小さな成長に、賞賛をもらえる優しい世界。日々の成長を可視化して、しっかりと前に進んでいることを教えてくれる。

AIによってつくられた100点の作品は技術をあげたらここまで到達できるということを具体的に見せてくれて、さながら、料理をレシピにそってつくるように、初心者は創作のレシピを見ながら、100点の作品に近づけるゲームを楽しんでいる。

独自のオリジナル料理をつくる料理人のように、自由に創作をしたくなったら、その人はクリエイターとして初心者の最初の壁を越えられたと言ってもいいだろう。

2つの世界の間にある底の見えない死の谷


この2つの世界は、プロと初心者の差とも言えるかもしれない。「他者を感動させたい」のか、「自分自身が満足したい」のか、の違いである。

AIの発達と共に、初心者クリエイターが「自分自身を満足させる」ためのハードルはゆるやかに下がっていき、プロクリエイターが「他者を感動させる」ためのハードルは急激に上がっていった。

いざ、初心者が「誰かに影響を与えるような作品を作ってみたい」と思った瞬間。プロとの差にはじめて直面する。どうやって超えたらいいか分からないほど巨大な谷がそこにあることに気づく。

初心者クリエイターがそこから頑張って100点のクオリティの作品をようやく出せたとしても、まだまったく足りない。同じような100点の作品は谷の底にすでに大量に沈んでいるからだ。かつて、レシピにしていたAI先生の作品もそこに含まれている。そこから頭ひとつ抜けるには120点の作品をつくれるクリエイターになることが必要不可欠となっている。

このクリエイティブの死の谷は、AIの発展とともに毎秒単位で広がっている。それでも、わたしたちクリエイターはプロとして誰かを感動させたいと願うのならば、AIの力もすべて借りて死に物狂いでこの谷を越えなければならないのである。

※この話は、実話とフィクションを含みます。

ショートショート タイトル:
「100点を120点にできるクリエイターしか残らない厳しい世界。0点を20点にできる全ての創作を賞賛する優しい世界。」


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