見出し画像

本紹介系YouTuberのわたしが、クソコメをつけるやつらの正体をあばいた話

「このクラスに、心ないコメントを書いた人がいます」

教授は落ち着いた声で言った。先週、大学の日本文学の授業おわりにおこなわれた授業評価アンケート。無記名の形でおこなわれたそれに、クソコメを書いた生徒がいたらしい。

無記名アンケートではたまにあることのようで、教授も特別怒っている様子はなく「特定しようと思ったらできるんですから」と生徒たちに牽制の意味で言っているようだった。

ただ、そのクソコメを書いたやつの気持ちもわからないでもない。単位のために受けている人も多いこの日本文学の授業、わたしの場合は文学が好きで選択したのだがまったく面白くない。何者なのかよく分からない教授の話をただただ聞くのもつらい。わたしもこの授業は、いかにうまく隠れて内職をするかという時間になってしまっている。

教科書に書いてあることをあらためて説明して、なんの意味があるのか。授業をするなら、この授業だからこそのオリジナリティがほしいものである。YouTuberさながらに「今日の文学トリビア!芥川賞の賞品が懐中時計なのは、当時のお金に困った小説家が質屋に持っていきやすかったから、という説がある…!いやー世知辛いね。今日もそんな世知辛い日本文学はじめちゃうよ!」くらいの茶目っけを出してほしい。

学びたい気持ちにさせるのも先生と呼ばれる人に必要なスキルだと思うし、それに気づかせてあげることは良い授業を学校に増やすためには必要な行為のようにも思える。思っていても、そんな正しすぎることわたしは教授本人には言えないけれど。

真面目に内職をしているとあっという間に授業は終わり、ルーズリーフ数枚に書き上げたYouTubeの原稿を持って教室をあとにした。YouTubeをはじめてかれこれもう1年。昔から文章を書くのが好きだったこともあり、10分〜15分くらいの原稿なら授業3本ほどの内職でつくることができるようになった。

わたしの運営している「本で人生変える!チャンネル」は、読んだ本の要約を動画で紹介するという、世の人のためになる教育チャンネルである。「本の世界で有名になりたい」と思っていたわたしは、大学1年の冬にこのチャンネルを立ち上げた。最近では、フォロワーももうすぐ1000人というとこまで増えてきて、数万再生を超える動画も10本以上生まれ、けっこう勢いがついてきた。つまらない大学の授業よりもよっぽど誰かの学びになっていると思う。

YouTubeをはじめたばかりのころは、それこそ好きな文学作品を題材に古典の王道「人間失格」「雪国」からはじまり、最近話題になっていた「推し、燃ゆ」などを丁寧に紹介していった。しかし、再生数がどうしても伸びず、悩んだすえ、テーマを少しズラしてストーリーもののビジネス書「夢を叶えるゾウ」を紹介してみたところ、これが見事にハネて初の再生数1万を超える動画になった。

そこからは戦略的に再生数が取れそうな本へと大きく方向転換。「嫌われる勇気」「影響力の武器」「メモの魔力」「ギブアンドテイク」など、十数万部売れている本はもちろん動画化すべきものとして順番に紹介していった。さすがに、医療系や、政治の嘘をあばくみたいな過激な本は、わたしには荷が重いので避けてはいたが。

毎日、Amazonの売上ランキングを見るのが日課になった。話題の本があれば、まずは本屋の立ち読みで目次をみて動画にできるかを判断する。「この本はサムネに入れられそうなポイントないな」「この本は2章だけでも動画にできそうだ」なんてことを思うようになっていった。

しかし、再生数が増えると批判的な人の目にもとまってしまうようで、コメント欄には「人の本を使って、お金を稼ぐカス」、なんて暴言が最近はつくようになった。「まだ収益化の条件クリアしてねーよ」と思いつつ、たんたんとコメント削除をおこなった。

ときには「社会人経験のない大学生まるだし、考えが浅すぎる」、なんて上から目線のコメントがついたこともある。「いや学生なんだからしょうがないだろ」なんて思うが、これも心のうちにとどめて、すぐに削除する。

また、ファンのようにみえるコメントにも悪質なものがあるから注意が必要だ。「いつも楽しみにしてます!勉強になります!」と毎回コメントをくれていた熱心なリスナーは、先日 同じ本紹介系YouTuberになっていた。それもわたしの動画の構成を丸パクリして。

わたしのファンの1人が「これ、本で人生変える!チャンネルさんの動画と似てません?」というコメントがつけてくれていたが、事情を何も知らない第三者が「同じ本をレビューしてるんだから、そりゃそうだろ」という表面的な正しさでリプをつけていた。

心ないコメントがあるたびに、あのときの日本文学の教授と同じような無表情でたんたんと削除ボタンを押していくが、自分の中の何かが少しずつ削られていく感覚がある。

それでもいまは、「有名になるために」「何者かになるために」、わたしはこの動画投稿をやめたくなかった。これだけが何者でもないわたしが唯一続けていけていることだったから。これをやめたら、本当に何も人生が変わらずに一生を終えてしまいそうな気がするから。

・ ・ ・

先日、あの日本文学の教授があるYouTuberの動画に、専門家として呼ばれてコラボしたらしいという話を聞いた。それほど興味はなかったのだが、動画をなんとなしに開いて驚いた。綺麗に編集された教授のエピソードトークは、授業とは比べものにならないほどに面白いものになっていた。

そしてなにより、教授は日本文学界では名の知られた有名人だったのである。授業で使っていた教科書の執筆者たちが恩師として慕うほどの。

「何者かよく分からない教授の話だから退屈だ」なんて思っていた、自分自身が急に恥ずかしくなった。相手のことをよく知りもしないでクソコメを量産していたのは、自分だったのだ。

※この話は、実話とフィクションを含みます。

ショートショート タイトル:
「本紹介系 大学生YouTuberのわたしが、クソコメをつけるやつらの正体をあばいた話」


こちらのお話の朗読動画も公開しています

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?