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嘘のロマンティシズム

嘘は、一般的にいけないとされている。

嘘も方便という言い回しはあるけれど、
それでも嘘をつかず、正直であることは、社会的な評価を受けやすい。

だけど、嘘ってとってもロマンティックなものでもあると感じる。

私のとても好きな曲に、
サカナクションの「ドキュメント」という曲がある。

この曲は、
「今までの 僕の話は全部嘘さ この先も全部ウソさ」
という歌詞で始まる。

この始まり方は、正直ずるいとさえ感じるほど魅力的だ。

この歌詞を読むと、
いつも私が暮らしている現実世界では、
「基本的に話すことは本当のことである」という前提のもとに成り立っているのだと気づく。

だから、嘘をつくことが存在できるのだ。

さらにこの歌詞は、嘘と本当の境界をも揺るがす。
今までもこの先も全部嘘の話であるなら、
「嘘さ」と話す、そのことまでも嘘なんじゃないかと捉えられると思う。

もはや、何が本当で何が嘘か、なんて考えることが野暮であるように感じさせられるのだ。

よく訳が分からなくなった上で、沁みていくサカナクションの音楽。
聴き手として良い意味で遊ばれている気もするし、遊んでもらっている気もする。

こういうところが、ロマンティックで好きだ。

あと、星野源さんの「フィルム」。

この曲には、「どうせなら 嘘の話をしよう」
という歌詞が登場する。

そうだよなぁ、と共感する。

本当のことに溢れている(ように見える)世界に生きていると、いつの間にか息苦しくなることがある。

だからこそ、小説や映画、音楽などのある意味「嘘」で創られたものたちに心を救ってもらって生きていると日々実感する。

どうせなら、本当の話より、くだらなくてもいいから、嘘の話をしたい。

そんな時間を共有できることこそ、とても豊かなことだと感じる。

お読みいただき、ありがとうございます。