「かわいい」が意味するところ
学校などの集団生活の中で、
「真面目」、「活発」、「面白い」などのポジションに、人は知らないうちに分けられていくことがある。
ラベル付け、みたいなものだろうか。
私は振り返ってみると、
「真面目」「大人しい」を経由したのちに、「かわいい」と言われる位置になることが多かった。
こう書くと、自慢?と思われるかもしれない。
確かに、罵られているに等しいようなラベルを付けられるよりは、随分楽な位置にいたと思う。
でも、何かを当てはめられる、という意味では、心からうれしいと言えるものでもなかった。
私の場合の「かわいい」ってどういう意味なんだろう、とぼんやりと考え続けてきた結果、
辿り着いた現時点での答えを書いてみようと思う。
まず、容姿が整っていて、アイドルみたいな子に対する「かわいい」とは言われ方が違うな、というのは何となく感じていた。
そういう子に対するそれは、少し距離を取るような、場合によっては嫉妬も含んだようなニュアンスがあったように思う。
しかし、私に向けられる「かわいい」は、
どちらかというと距離を縮めるようなニュアンスを持つものだった。
「天然」、「ほんわかしている」と言われることも多かったので、愛嬌があるみたいな意味かな、と捉えていた。
しかし、近頃、もう少し考えが深まる出来事があった。
年上の人と話していた際、休日に何をするか尋ねられたので、
「ぼーっとしたり、特に何もしないでゆっくり過ごすのが好きです」と返事した。
すると、「えぇ、なんて可愛らしい」
と言われた。
ん?これもかわいいに入るのか?と疑問に思った私は、「かわいい」が含むもう1つの意味の可能性を感じた。
それは、良く言えば「純真」、少し悪く言えば「子どもっぽい」という意味だ。
(のんびり休みを過ごすのは別に子どもっぽくないとは思うが。)
ここで、学校で言われていた時のことをもう一度思い出してみる。
私は、比較的、自分の考えや疑問を大切にして、それを素直に口に出したり、自分は自分だと考えて行動する方だった。
それは、周りに馴染もうと努める子たちにとって、また、クラスをまとめているような位置にいる子たちにとっても、
あまり好ましいとは言えない動きに映っただろう。
しかし、そういった子たちに対して何か喧嘩を売るような態度は取らないし、容姿の面でものすごく嫉妬を買うような相手でもない。
だから、とりあえず広い意味で何となく良い感じに聞こえる「かわいい」という言葉を私に言っていたのではないかと思うのだ。
そしてそれはある種の牽制でもあって、
「かわいい」子であり続けてよ、
その枠から出ないでよ、
という意図も込められてはいなかったか。
これはこの言葉に限った話ではない。
ラベル付けという行為には、人を枠で囲い、自分を安心させるという効果があると思う。
だから、そのラベルが一見良い感じに思える「かわいい」というものであっても、
私はそこはかとないイヤな感じを覚えていたのだろう。
これからも、もしかしたら「かわいい」と言われることが、その位置に立たせられることがあるかもしれない。
そのうちにまた「かわいい」が持つ意味について考察が深まったら、ここで考えの続きを書きたいと思う。
お読みいただき、ありがとうございます。