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にんげんのちから

病院に行くことは大切だ、とわかっている。

いまでも、病院に行くことが好きかと訊かれたらそうではないのだけれど、
剥離骨折を経験したとき、最初の病院で骨折を見つけてもらえなかった。
2つ目の病院でようやく骨折を見つけてもらったあの経験を、わたしは生涯忘れない。

とは言うものの、わたしは今回、病院に行かなかった。



実は、5月のアタマくらいに、部屋で派手に転んだ。
「部屋で転んだくらいで病院?」と思うかもしれないけれど、
ほんとうに、「ずってーーーーん!!!」という大きな音を立てて倒れ、
ぶつけたアゴはぷっくりと腫れ、もとに戻らないかと思った。

アゴはお陰さまでもとに戻ったのだけれど、
どうやら、足もぶつけていたらしい。
爪のあたりが、何日経ってもズキズキ痛む。
痛くて眠れないと思うときもあった。(寝たけど)

このときは痛すぎて病院に行こうと思ったんだけど、
離職票が届いておらず、国保への切り替え手続きが終わっていなかったわたしは、保険証を持っていなかった。

諦めて数日過ごしたら痛みは引いたのだけれど、先週あたりに痛みが復活してきた。
いまさら?と思うけど、爪が伸びて状況が変わったらしい。

爪を見てみたら、ほんとうにきれいな巻爪だった。
巻爪に、きれいとか汚いていう言葉が正しいかわからないのだけれど、
左足の巻爪が進みすぎていて、爪の横幅が右爪の半分くらいしかなかった。
ほんとうに、ぐるんと巻き込んで、ぎゅっと短くなっていたのだ。
圧迫された皮膚には血がたまり、赤く腫れている。
転んだ直後と、同じくらいずきずきと痛む。


今度こそは病院に行こうと思い立ったのが金曜日の夕方。
しかたないから週明けに、と思っていた。



結果、わたしは病院に行かなかった。
痛みが引いたのだ。

巻爪がわたしの肌を傷つけていた部分に、膿が重なったかさぶたのようなものができて
傷んでいた部分を、守ってくれていたのだ。

爪の下の方からは、新しい爪が生えてきている。

病院に行ったほうがいい、という事実は変わりないということはわかっているが
わたしはしばらく、様子を見守ることにした。



痛みを防ごうとして、
わたしの身体は自分で、かさぶたを作ってくれた。

その事実に、わたしは驚きながらも感動してしまったのだ。
生きよう、と身体が動いてくれたのだ。
痛みから、守ってくれたのだ。


もちろん、損傷部位がもとに戻らない可能性がある、ということもわかっている。
中学生の時、プールの階段で転んで、右足の小指と薬指を間を縫う怪我をしたときに「神経切れてるかもしれませんね〜」と言われながらそのまま縫合されたわたしの小指は、
20年近く経ったいまも、左足と同じようには動いてくれない。


それでも、
痛いことは身体からのSOSで、
そのSOSを身体の中でもきちんと受け取って、わたしがすこやかに生きられるよう、痛みから守ってくれた。

にんげんのちからってすごい。
心とは別の、身体ってやつも
わたしが人生というダンジョンを切り抜けるための、大切なパートナーだ、なんて
やっぱりわたしは、感慨深く思ってしまう。



photo by amano yasuhiroTwitternote



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