にんげんのちから
病院に行くことは大切だ、とわかっている。
いまでも、病院に行くことが好きかと訊かれたらそうではないのだけれど、
剥離骨折を経験したとき、最初の病院で骨折を見つけてもらえなかった。
2つ目の病院でようやく骨折を見つけてもらったあの経験を、わたしは生涯忘れない。
とは言うものの、わたしは今回、病院に行かなかった。
*
実は、5月のアタマくらいに、部屋で派手に転んだ。
「部屋で転んだくらいで病院?」と思うかもしれないけれど、
ほんとうに、「ずってーーーーん!!!」という大きな音を立てて倒れ、
ぶつけたアゴはぷっくりと腫れ、もとに戻らないかと思った。
アゴはお陰さまでもとに戻ったのだけれど、
どうやら、足もぶつけていたらしい。
爪のあたりが、何日経ってもズキズキ痛む。
痛くて眠れないと思うときもあった。(寝たけど)
このときは痛すぎて病院に行こうと思ったんだけど、
離職票が届いておらず、国保への切り替え手続きが終わっていなかったわたしは、保険証を持っていなかった。
諦めて数日過ごしたら痛みは引いたのだけれど、先週あたりに痛みが復活してきた。
いまさら?と思うけど、爪が伸びて状況が変わったらしい。
爪を見てみたら、ほんとうにきれいな巻爪だった。
巻爪に、きれいとか汚いていう言葉が正しいかわからないのだけれど、
左足の巻爪が進みすぎていて、爪の横幅が右爪の半分くらいしかなかった。
ほんとうに、ぐるんと巻き込んで、ぎゅっと短くなっていたのだ。
圧迫された皮膚には血がたまり、赤く腫れている。
転んだ直後と、同じくらいずきずきと痛む。
今度こそは病院に行こうと思い立ったのが金曜日の夕方。
しかたないから週明けに、と思っていた。
*
結果、わたしは病院に行かなかった。
痛みが引いたのだ。
巻爪がわたしの肌を傷つけていた部分に、膿が重なったかさぶたのようなものができて
傷んでいた部分を、守ってくれていたのだ。
爪の下の方からは、新しい爪が生えてきている。
病院に行ったほうがいい、という事実は変わりないということはわかっているが
わたしはしばらく、様子を見守ることにした。
*
痛みを防ごうとして、
わたしの身体は自分で、かさぶたを作ってくれた。
その事実に、わたしは驚きながらも感動してしまったのだ。
生きよう、と身体が動いてくれたのだ。
痛みから、守ってくれたのだ。
もちろん、損傷部位がもとに戻らない可能性がある、ということもわかっている。
中学生の時、プールの階段で転んで、右足の小指と薬指を間を縫う怪我をしたときに「神経切れてるかもしれませんね〜」と言われながらそのまま縫合されたわたしの小指は、
20年近く経ったいまも、左足と同じようには動いてくれない。
それでも、
痛いことは身体からのSOSで、
そのSOSを身体の中でもきちんと受け取って、わたしがすこやかに生きられるよう、痛みから守ってくれた。
にんげんのちからってすごい。
心とは別の、身体ってやつも
わたしが人生というダンジョンを切り抜けるための、大切なパートナーだ、なんて
やっぱりわたしは、感慨深く思ってしまう。
photo by amano yasuhiro(Twitter・note)
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