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教えを請うこと

昨晩眠る前、わたしはどきどきしていた。

5歳さん主催のライティング講座「ぶんしょう舎」に参加させていただいている。

書くことって、
日本語については子供の頃に教わったけど
いま、「誰かに伝えるための文章」って、ほんとうに独学だから。
第一線で活躍する人に教えてもらいたい!と思って、参加を決めた。

最近、stand.fmで「何事も挑戦してよかったよ〜」なんて話しているわたしだけど
この講座についていけるかな、とか
しっかり学べるかな、とか
不安はあってというか、不安しかなくって。
ぶんしょう舎のページを、10回くらい見たり閉じたりしていた。

第1回目の講座を終えて数日経ったいま、参加者限定のSlackで5歳さんが「みなさんの文章を添削します!」とおっしゃってくれたので、さっそく記事を送ってみた。
たまたま、出されたテーマ(2020年これは買って良かったもの)で既存の記事があったので、ちょっとだけリライトして提出することにした。

不安になる前に深夜の勢いを借りて、えいっと送信ボタンを押してから
「いや待てよあそこも気になる…」と思って、何度も直したり

そして寝る前は、もう心臓ばくばく。

久し振りに「あしたわたし、無事に生きているかな」という不安に駆られていた。

添削なんだから、直されるのは当たり前だけど、あんまりずたぼろに言われたらへこむ…
もうどうしようもないことを言われてしまったらどうしよう…
もちろん完璧な文章を書けたつもりはないけど、充分「わたしらしさ」はある言葉たちだと自分では思っているので、「見当違い」って言われると、けっこうしんどい…

眠れずに何度も寝返りを打っていたら、同居人に「眠れないの?」と尋ねられた。
わたしは頷いて、「実はライティング講座に課題提出したんだけど、いろいろ言われちゃったらと思うと怖い」とつぶやいた。

「そっちのほうがいいじゃん」

同居人は、事もなげに言った。
「いろいろ教えてもらったほうがいいでしょ」
「でも不安だよ」とわたしはいったけど
「そういうとき、俺だって不安だよ。でもさ、」と言ってくれたので、わたしはまたすなおに頷いた。

不安でも良い。
でも、いろいろ指摘してもらったほうが良い。
なんだか相対するような感情のような気がするけど、どちらも抱えたままで大丈夫なんだ。

そうか、とわたしは安心して眠りについた。

教えを請うことは、怖い。と思ってしまう。

うまくなりたい、好きだ、というものに教えを請うのだから、「うまくいかなかったらどうしよう」と思ってしまう。
中高の部活って、その狭間でよく頑張っていたなあ、と思う。
(高校の吹奏楽部は、その狭間で頑張れなくなったから、1年経たずで辞めたけど…)

でも、最初からうまくいくわけないよね。

そして指導していただけるということは
「指導する箇所」があって、「伸びシロ」があるっていうことだから、ほんとうにありがたいことなのである。

結果、5歳さんはすごく丁寧にわたしの文章を添削してくれた。

はっきりと伝えるべきことは伝える中に、
5歳さんのやさしさを、たくさん感じた。
基本的には「こうすればもっとよくなるよ」という導き方をしてくれたうえで、
「リード文がいいですね」と、「まつながさんの文体や雰囲気は好きです」とおっしゃってくれて、ほんとうに、ほんとうに嬉しかった。

なにより、「言葉の世界ってほんとうにおもしろい!!!」ということを、教えてもらった。

課題では、わたしが買ったブランケットの幸福さを伝えたんだけど、
商品説明を読んだだけの5歳さんのほうが、ブランケットの良さを伝える文章を書いていて、もう純粋にびっくりしちゃった…

わたしはいままで、「自分の感情をどうやってアウトプットするか」って考えていた。
たぶん、誤解を恐れて、ふわっとした表現が多かったと思う。
白にも、黒にも見えるような。

わたしが憧れる文章って、「どうしてこんなに鮮明に景色を書けるのだろう」って思うものが多くて。
それについての答えが、5歳さんからのアドバイスなのかな。と腑に落ちた感じ。

(5歳さんからのアドバイスから引用)
ディテールをどう詰め込むかがライターの腕の見せ所なのです。読んでいる人にまさに手に取ったかのような感覚、質感、使い心地までをテキストで体感させるのです。

やっぱり今回も、挑戦してみてよかった!
やってみなければわからない世界が、たくさんあった。
教えてもらう、ということそのものに、もう一度向き合えてよかった。

最初からうまくいかないよね。
でも、これからちょっとず上手になったらいいね。

わたしは新しく切り開かれた言葉の世界を、まっすぐ見つめている。




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