いつかわたしは、間違えるだろう。
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いつかわたしは、間違えるだろう。

まつなが

今でも、思い出すとゾッとすることがある。

わたしの仕事の何割かは、印刷と郵送だと思う。
まだまだ紙と印鑑が主流の業界で、わたしは毎日飽きもせず、自席とコピー機のあいだを行き来する。

毎回違う人に送る書類が半分、
特定の何人かに送る書類が半分、くらいだろうか。
上司もわたしも面倒事は嫌いで、自分をあまり信じていない。
「宛名なんか毎回手書きするのは面倒だし、どうせいずれ間違える」と思っているので、特定の人に宛てるときには、用意していたラベルシールを貼る。
差出人には、自社のラベルシールも大量に用意済みだ。

「宛先と差出人を、間違えちゃったことがあってね〜」
いつか、上司はカラリと笑っていた。
レターパックを使用する際、ラベルを逆に貼ってしまったのだと云う。

まじかよ、そんなことがあるのか。
信じられない、と思ったけど、お約束の通りわたしも一度間違えている。
こういうことか、と思い、同じ過ちを繰り返さないように日々務める。

業務の内容がすごく難しいかと言われればそうではないけれど、慣れてしまえばミスは生まれやすいし、わたしは慎重だ。
慎重であるべきだ、と思ってはいるけど、いつもそうはいかない。
「確認する」というタイミングを増やして、でもその確認は時々おざなりになってしまう。

その日は、本当にたまたまだった。

投函の前の最終チェック。
これは、いつも必ずするわけではない。
ラベルが逆になっていないかをチェックしたうえで、その日は本当にたまたま、「宛先が合っているか」の確認もした。
合っているか、と言っても、封をしてしまったレターパックに於いて、中身を出してまで確認するわけにはいかない。
毎回違う人に送っている場合は、もう正誤なんてわからない。

でも、その日は「いつもの人」への投函で、わたしは息を呑んだ。

違う
宛先、この人じゃない。

会社を出て、ポストまでの短い道のりで背筋が凍るようだった。
いや、まだ未遂だ大丈夫。
わたしは深く息を吸って、レターパックを投函せずに持ち帰った。
幸い、急ぎの書類ではないので、明日の投函でも大丈夫だ。うん、大丈夫。

翌朝、こっそりとカッターでレターパックを開封して、ラベルシールを剥がした。

今でも思い出すとゾッとする。
紙一重だった、と思う。

毎日手作業でいくつも郵便を用意しているんだから、こういうミスとは隣り合わせだ。
気をつけているはずなのに。
ああ、でも気づけてよかった。

いつかわたしは、間違えるだろう。

本当は間違えないほうがいいけど、間違える日がくると思う。
そう思うとやっぱりゾッとするけれど、心の半分を落ち着けて、わたしは考える。

本当に取り返しのつかない過ちが、あるのだろうか。

いまの部署に移動して、自分宛ての電話が鳴る度にひやひやしていた。
書類に不備があっただろうか、と自分を疑ってばかりいた。

「だいじょうぶだよ」と、上司は笑った。
「だいたい、なんとかなるよ」

言葉の通り、わたしはなんとかしながら生きている。
訂正印を何度も捺した。
間違いに気づいたら「ごめんなさい」と謝って、普段使用しているテンプレートを即座に変更したり、確認の頻度を上げた。

未熟でまぬけなわたしは、「取り返しのつかない過ち」に、まだ遭遇していない。
もう味わいたくない、と思う痛みはたくさんあるけれど
それでも、

なんとかなっている。
ここまで大丈夫だった。
間違えても落ち着いて、「今できる最善」を選んで繰り返してゆく。

転びそうになることを恐れすぎない、
転んでもなんとか起き上がれるようになったわたしの日々を
いま、じんわりと愛しく思っている。





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まつなが
松永紋華(まつながあやか)無名のエッセイスト兼ピアノ弾き。1987年生まれの静岡産。ポケモン好き。好きなおやつはシュークリーム。2021年8月〜コロナ後遺症療養中