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まっすぐな靴底で歩きたかった

階段を歩いているとき、前をゆく人の足元を見る。

スニーカーの靴底が、斜めにすり減っていた。
わたしはそれを、懐かしい気持ちで見つめる。
ああ、そうだ。わたしもそうだった。

いまでも、わたしの靴底は内側のほうから薄くなってゆく。
それでも、昔よりはずいぶんマシになった。
20歳を少し過ぎるまで、わたしは極度の内股歩行だった。
いまでは、あの頃の比べると「極度」ではなくなったのだと思う。

あの頃までのわたしは、ずいぶんとひどい歩き方をしていた。

子供の頃は、ずいぶんよく転ぶ子供だった。
膝に傷ばっかり作っていたし、何もないところで転んで捻挫したこともあった。
運動神経が悪い、と思っていたし、それはそれで間違いではないのだけれど、10歳を過ぎたときにようやく気がついた。
内股が原因である、と。

特に右足が、ものすごく内側に入っている。
体の中心へと傾く右足を、また内側を向く左足で蹴飛ばして、転んでいるのだと気づいた。
いやもう、ひどい話なんだけど。本当にそうだった。
自分の右足が最大の障害物だったわけだから、そりゃあ何もないところで転ぶわけだ。

昔の恋人は、「自分の好きなもの」をわたしに買い与えるのが好きな人だった。
彼は、「高価なものを長く大切に使うこと」を信条としていた。
レッドウィングのブーツも、A.P.C.のコートも、zuccaの金色の時計も、彼に教えてもらったし、買ってもらった。
高いものを買ってもらってばっかりで悪いなあ、と思っていたのだけれど、彼は「自分の好きなものを身につける彼女であるわたし」のことが、好きだったんだと思う。
20歳、当時のわたしがいちばん心躍る場所は、原宿の竹下通りだった。
安くてかわいいものが好きで、いちご柄のワンピースや、虹色のパーカーを着ているのが、わたしは好きだったのだけれど。
そういうものは、結果的に少しずつ剥がされてゆくこととなった。
いちご柄も好きだったけど、彼ほど強い熱意で洋服を選んでいなかったし、人生で初めての恋人が買ってくれたコートを着ているほうが、わたしにとってはしあわせだったのだと思う。

クラークスの靴も、そのひとつだった。
ある日、彼が自分のために買った靴を「それ、かわいいね」と言ったら、同じものを買ってくれた。

クラークスの靴というのは、信じられないくらい靴底がやわらかい。
内股で歩いているわたしは、すぐに靴底をすり減らしてしまった。
もう、信じられらないくらい斜めになって、履けなくなってしまった。
わたしは、すごく悲しかった。

「靴底は、打ち直せばいい」と彼は言って、2万円の靴に、また1万円を払って、新しい靴底に張り替えてくれた。

そのとき、わたしは自分で内股を少しだけ矯正した。
まだ、「まっすぐ歩ける」という状態にはたどり着けていないけれど、「自分の右足を、左足で蹴飛ばして転ぶ」ということは、なくなった。

あれからほんの少しおとなになったわたしは、彼と別れたときに、クラークスの靴を捨てた。
いまは毎日、無印のスニーカーを履いている。
雨の日でも、水を弾くスニーカー。
「水に濡れるのはよくないから」と言われて、雨の日にはクラークスを履かなかった、あの頃のわたしより、身の丈に合った暮らしをしていると思う。

クラークスの靴を捨てたしばらくあと、いまの同居人と同一人物である男が、誕生日にコートを買ってくれた。
昔の恋人と別れた直後で、わたしはA.P.C.のコートを、着ることができなくなっていた。
そのとき着れた唯一のコートは、H&Mで2000円だった。薄くて、ずいぶん寒くて、わたしは毎日凍えていた。

同居人が買ってきてくれたのは、青と緑の中間みたいな色の、Aラインのコート。
それは、「わたしに似合うコート」だった。
「わたしに着て欲しい」とか「わたしを着飾る」みたいな感情を持たず、「寒いって言ってたから。君に似合いそうなコートを買ってきたよ」と言って、渡してくれたこと。
それは、友達みんなが「似合うね」と言ってくれる色と形で、わたしはいまでも、そのことが嬉しい。

あれから何年も経ったけど、同居人は今でも同じ理由で、プレゼントをくれる。
「君が好きだから」と言って買ってくれたシュークリーム。
同居人は、甘いものなんか食べないくせに

それでもときどき、
靴底を減らさないように、丁寧に生きていた頃のわたしを、思い出す。
思い出すだけで、それ以上の感情は沸いてこないのだけれど。

内股で歩く癖だけ、
あのときに矯正しておいてよかったなあ、とぼんやりと思う。







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