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もうひとりで帰れるから

痛い、と思うとき
同時に、気のせいかもしれない、と思う。

いつもそうだ。
自分の鈍感さを、信じようとしてしまう。
「ばかは風邪をひかない」みたいに
この痛みもまぼろし
または、耐えるに値するようなもので、気にしてはいけないのかもしれない、と。

「いたいのとんでけ」と、かつて言われたかもしれない。
もう、覚えていない。
「いたくないよ」と、膝を撫でられたかもしれない。
やっぱり覚えていない。

わたしがこどもだったときは、うんと短かったのだと思う。
それはませていただとか、賢かったとかそういうことではなくて、母親がそういうひとだった。
必要最低限の母娘という仮面をまとい、わたしたちはずっと「人と人」だったような、そんな気がしている。
それを中学生のときに自覚したのは覚えているけれど、その前からきっとそうだった。

だから、そういう「こどもだまし」のようなことを、母はあまり言わなかったのではないだろうか。

それでもわたしは、良い子であろうとしていた、ような気もする。
静岡で過ごしていた時間のすべてがもう曖昧で、すべての語尾に「気がする」とつけなくてはならない。

なんとなく「良い子だね」なんて言われて、良い気分で、期待に応えようとしていた…みたいな感じ。
実際に良い子だったわけでもなんでもなくて、そうするほうが気分が良いし、「安全な生き方だ」と気づいていた。打算的なこどもだった。いや、そういう性格だったんだ、ずっと。
髪を染めることも、ピアスを開けることも、「打算的な状況」を壊すほど興味が持てない、と思っていたことを覚えている。

良い子のわたしはいつも平気な顔で、なんでもないよとほほえんだあとに
ふたりの母親の前だけで、「痛い」と言った。

「いたいのとんでけ」の記憶もないけれど、やっぱり根付いているのだと思う。
きっと誰もが心臓の泉の奥底にひそませている。
「痛い」と、言いづらい、というような、程度は違っても

「はやくよくなるといいね」と言えばよかった。
あれは、そういう意味だった。

わたしはこどもを育てたことがないからわからないけれど、
もしかしたら、こどもに対しては「いたいのとんでけ」が正しいのかもしれないけれど

いまはそうじゃない、と思う。

わたしは必死に、痛みを探って理解する。
ほんとうに気のせいなのか、鎮痛剤を飲むべきなのか、それとも会社に「休みます」の連絡を入れるのか、考える。
いたいのは、とんでかない。
そしてもう、飛ばす必要もないのだ、と思う。

フィジカルな痛みは誤魔化さずに理解すべきであり、
まっくろな思い出を、まっくろなまま抱えるのも、もう自由でしょう。

もう、良い子じゃなくてもいいよ。
転んだって泣いたって、もうひとりで帰れるから
痛いのもつらいのも、むりしなくたっていい

なにもかもがやさしくないときがあっても
嘘じゃない痛みは確かにある。
それを「とんでけ」なんて言うのは、あんまりじゃないか。
それなのに痛みを抱えることだって、「あんまりだ」と泣き叫ぶ夜もある。

それでも、
やさしくされたことは消えなくて
痛みもまた、同じ温度を保つことはできなくて
きっとそれが、

生きてゆくということなのだ。と思う。




【photo】 amano yasuhiro
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