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ハンムラビ法典は滅んでいる

わたしは、その夜のことを反省している。

少し、嫌なことがあった。
いや、”結構”嫌なことがあった。

起こったことは些細な出来事だった。
でも、その言葉が発せられたことで、わたしが丹念に積み上げてきたものを、壊されたような気持ちになった。

わかっている。
起こったことは、些細な出来事だ。
他人に話したら「そんなことで?」と言われてしまうような内容だと、自覚している。

わたしは、問題を切り離し、冷静に対処しようと思考する。
「問題を切り離して考えなきゃ」というのは、前職の上司に言われたせりふで、いまもわたしの中に深く、根付いている。
今回の事案に対しては、「悲しい」だけじゃなくて、「今後の対策」が必要だった。

いま、わたしは悲しい。
その事実を一度抱きしめ、隣に置くことにした。
「悲しい」の先は、「悲しい」でしかないことを、おとなになったわたしはもう知っている。

まず、起こってしまったことで、今後発生する可能性のある事案を思い浮かべる。
今回は、わたしの手を離れてしまっている部分もあるので、「他人の動き」を想定する。
そして、「最悪の事態」を思い浮かべる。

まずここで、「何がわたしにとって最悪な事態なのか」を理解しようとした。
わたし自身が、何に以て困ったり傷ついたりするのか、詳細を理解できていなかった。
「もうぜんぶやだ」と叫んでいるこどものわたしを、しっかりとなだめる。

自分が今まで、何の感情や状況に基づいて行動していたのかを整理した。
そのあとに、「最悪の事態」が起こったあと、取るべき行動を決めた。

「最悪の事態」を起こさないための行動も決めた。
いまできる最善を、整理された理念に則り決めてゆく。

できることは、これだけだった。

起こってしまったことは、もう取り返しがつかない。
「これからどうするか」を考えてゆくしかないんだ。
悔しいけれど。
たまらなく、悔しいけれど。

たまらなく、悔しい。
悲しい。

ほんとうだった。
誰がどう言っても、そう思えた。

わたしは、問題を切り離す。
いろいろな思惑や、感情があり、他人の存在がある。
「しかたがない」と笑い飛ばすこともできたかもしれない。
この先にやることも決まったし、泣いている場合はでない、と思うけれど、わたしだけはいいじゃないか。許してやったって
生まれてきた感情を、そんなにホイホイ捨てなくったって。
問題が切り離された結果、感情の部分では、どうしたって悲しかった。
わたしはそれを、許すことにしている。「悲しみ」の先に、行き場がなかったとしても。

「悲しみ」を受け入れているあいだ、わたしは少し乱暴になってしまっている気がする。
物理的にモノに当たるとか、そういうことじゃなくて。
ハンムラビ法典を振りかざしてしまっているような気がする。

目には目を、歯には歯を
わたしは自分の痛みを、他人に与えてもいいような錯覚にきっと陥っている。
「わたしはこれだけ痛かったんだ。どうしてくれるんだ!」叫びたい気持ちになってしまう。

そうなってしまっていたことに反省できたのは、まるっと一日が経ってからだった。

ハンムラビ法典は、紀元前1792年から1750年にバビロニアを統治したハンムラビ王によって発布されている。
何千年前の話をしているんだ
とっくに滅びている。

わたしが痛かったからって、殴ったらだめだ。
相手がよくないことをしていたかもしれない、わたしの感情はまっとうだったと思う。
でも、わたしの願いは「再発防止に努めて欲しい」。これだけだった。

「わたしがどれほどつらかったか」をせつせつと語って、その言葉で相手を傷つけることは、正義だろうか。
わたしが傷ついたことを知ったら、相手も傷つくだろう。
傷つけて、わたしは満足だろうか。
そういうときもあるかもしれないけれど、いまのわたしはそうじゃない。
切り離された問題として、わたしがわたしとして善処していくだけの話だった。
あなたの、傷ついた顔を見たいわけじゃなかった。
その顔を見て、問題が解決するわけじゃなかった。

「昨日のわたしはよくなかったよ、ごめん」

その点に於いては、すなおに謝った。
そしてこれは、わたしの悲しみを否定する行為ではないことを、わたしは知っている。
悲しみはきちんとあって、長い時間をかけて消化されてゆくだろう。

いまは静かに、そのときを待とうと思っている。





(おしゃべりで少しだけ補完しました。興味があればこちらも)





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