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痛い、と身体が教えてくれたこと

先日、「手荒れが3週間くらい治らない」という話をさせてもらった。
右肩上がりに進んでいくわけではないよな〜と思いながら

もともと、肌は弱かった。
でも近年は、ゴム手袋を使わないで暮らせる自分にアップデートしたはずなのに
またゴム手袋を使わなくちゃいけない日々に逆戻り。なんだか悔しかった。

結果、ゴム手袋をして洗い物をするようになってから、数日で治った。

自分で文字を打ちながら笑ってしまう。
なんだ、そういうこと? そういうことなの? そうだったのね。

自分のなんだかわからないセンチメンタルな感情よりも、
いま自分の身体が訴えている痛みを、わたしは素直に信じるべきだった。


実は、手荒れがひどいとき
まあこんなもんか、そりゃ水染みるよな、という痛みがあったんだけど
洗い物が多いとき、洗剤に触れている時間が多いときは、終わり頃に「あれ、これもしかして、結構染みて痛いのでは??」ということに、気づいていた。
そして、目を逸らしていた。

痛いな、と思ったときには、すぐに洗い流すようにしていたし
洗い物が多くないときには、あんまり気にならなかった。
身体が訴える痛みを、「気のせい」と「我慢できる」「大したことない」で片付けてしまうのは、悪い癖だと、きちんと学習していたのに。

痛み、という感情への向き合い方は難しい。
友達から同意を得られたことがあるので、わたしだけではないと思う。

「痛い」けど我慢できるし、気のせいかもしれない。いつものことだ。
病院に行くほどでもない。とかね
なんとなく、大事にしたくないような気持ち。
古い言葉だけど、「ツバつけときゃ治る」みたいな
ずっと、そんな風に思っていた。



骨折をして、右手の親指が動かなくなったとき
この感覚は、ひどくわたしを苦しめた。断言できる。

右手の親指を剥離骨折したとき、最初はドアノブも蛇口も握れなかった。
帰宅したその日は、腕時計も外せなかった。
最初に行った病院では、骨折を見つけてもらえず、「打撲」と思っていた。
ほんとうに、小さな、小さな剥離骨折だった。

右手の親指が使えないということは、たいそう不便ではあったけど、暮らせなくはなかった。
ライブハウスの仕事にも出ていた。
痛いけど、働けないほどではないし
働かず、給料がなくなれば死ぬ。と思っていた。日払いだったし、雇用保険もなかった。

1ヶ月経ってもよくならず、友達の後押しもあって再度病院に行った。
そのときも「なんともないですね」と言われたんだけど、「いや痛いんです!」と訴えて、レントゲンを拡大して拡大して、ようやくわたしの指は、剥離骨折していたことがわかった。

そこからしばらく、「お箸でごはんを食べれるようになること」
いや、「ラーメンを食べること」を目標に生きていた。
どれくらいの期間でラーメンが食べれるようになったかわからないけど、数カ月はかかったと記憶している。
その間も、痛みは一進一退を繰り返していた。
痛いような気がする、よくなったような気がする。
安堵と絶望を、懲りずに律儀に繰り返していた。


苦しみは、しばらく続いた。
そんなとき、わたしを助けてくれた人がいた。
いまでも、すごく感謝している。わたしはこの言葉を、忘れない。
お店に来ているお客さんで、薬を売って暮らしている人で、とてもやさしい口調でしゃべるひとだった。
わたしの体調のことも、やさしく気遣ってくれていた。たぶん、わたしがグチグチめそめそ話をしていたからだと思う…
そんなときだった。
正確な言い回しは覚えていないけど、こんな内容だった。

痛みはね、身体からのSOSだよ。何かがおかしい、困ってるって訴えているってこと。
 そして痛みは、自分にしかわからないことだから、きちんと労ってあげてね」


わたしは、痛みから逃げていた。
気のせいだ、と思いたかった。
それこそ、「右肩上がりの世界」を信じたかった。

そして時折、「激痛」と断言できる痛みが襲ってきて
「ああまたか」とわたしは、何度も泣いた。
ぜんぜん、右肩上がってない。


SOSだったんだ。
助けてあげるべきだったんだ。
わたしが、わたしの身体を

わたしが「痛い」って言わなきゃ、助けてあげなきゃ
わたしの身体が悲鳴をあげていることに、他人は気づけない。

「なんだか、痛がってばっかりいる奴」って、
思われたくなかったし、思いたくなかった。
「我慢のできない奴」になりたくなかった。

「へいきだよ」と言いたかった。
痛がるのは、格好の悪いことだと思っていた。

半年ほどで、剥離していた部分はくっついた。
もう「治った」と言われた。

「治った」のに痛みを訴えるわたしのことを、情けないと思っていた。
もう、治っているのに。


骨は治っている、という状態から数年経った夏も激痛に悩まされていた。
とにかく傷んで眠れない、という夜が、かなり頻繁に襲いかかってきていた。

その夏、通算4件目の病院で、信用できる先生に出会うことができた。
いまでもわたしの主治医だ。

先生は、骨折のあとが残っていることに気づき、
「治りますか?」と問い掛けたわたしに、
治る・治らないじゃない。君はまだピアノも弾くし、仕事でパソコンも使っている。
 君は一生、この身体と付き合っていくんだよ

「治る」と言われなかったことは寂しかったけど、先生がそう言ってくれたことには救われた。
付き合っていく。
コンディションを整えていく。
痛いと思ったら、ケアをする。休ませる。病院に行く。
そうやって、「ずっとピアノを弾ける身体」を、わたし自身が作ってゆく。守ってゆく。


いまでも、痛みの線引きは難しい。
すべての痛みと真面目に向き合っていたら、それはそれで生きるのが難しそうだ。とも思う。

でも、何日もとか、1週間以上とか
続く痛みであれば、きちんと向き合うべきだった。
そろそろ病院に行こうかな、と思う前に
日常で感じている、それは「我慢できる痛み」であっても、「身体が訴えている違和感」を
まずは受け取って、排除するべきだった。

結果、病院に行かなくても、わたしの手は治った。


骨折していたときのことや、その期間のことは
すごく苦しかったので、記憶の一部を失い、覚えている一部は封印している。
話したくない、というよりも
話すとすごく苦しいので、この記事も唇を噛み締めながら書いている。
あれからも、6,7年経つというのに、わたしは当時の心の痛みと、折り合いをつけられずにいる。


でも、こうして
圧倒的に有益な学びを忘れてしまっていることは、愚かだと思う。

自分への戒めと、
わたしが救われた言葉が、誰かの救いになればいいと思っている。

手紙や、メッセージの最後に「ご自愛ください」と書く。
「心身ともに、ご自愛ください」と

心から、そう思っている。
わたしはあなたを、支えたり、安心を与えることや、一緒に頑張ることはできるかもしれない。
できることも、たくさんある。

同時に、あなたの身体や心に対し、できないこともたくさんある。
ということを、わたしは身を持って知っている。

そして、痛いときに「痛い」という難しさも、知っている。

だけど、
だから、
どうか、ご自愛ください。


photo by amano yasuhiro



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