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夜のおにぎり

昨晩は、疲れ果てて帰ってきた。

そんなことは想定できるスケジュールだったので、
朝のうちにnoteを1本更新して、ピアノ日記も終えてしまう予定だったんだけど
案の定、時間が足りなくなって、ピアノ日記を諦めた。

6月30日
「6月のピアノ日記」の最後になる曲だ。

そしてそれは、最近まとめてYouTubeに載せている音源の
一番最後を飾る曲になる。

アルバムの、ラストソング
わたしにとっては、大切なものだった。

朝のうちに、写真を選んで、イメージとなる言葉も見繕っておいた。
帰ってきたら、ピアノを弾くだけ。
いやでも、それにしても暑いし眠いし、
家に帰ってくると、ぐっと疲れるし、どうしておなかが空くんだろう。



「なにか食べる?」
「なんでも作るよ」と、同居人は言ってくれた。
終電で帰ってきて、1時を過ぎていたし、食べるべきじゃないのはわかっていた。
だけどわたしは、「なんでも作る」の言葉に甘えることにした。

「おにぎりでも、いい?」

彼の作るおにぎりが好きだった。
おにぎりは、特別だ。
なんだか、安心する食べ物であり、彼のおにぎりを食べると、元気になる。
この度合いは、他の食べ物と一線を画している。
理由はわからないけど
手でつかんで食べる、というのが、わたしの性格に合っているというのもあると思う。


お風呂に入って、ピアノを弾いた。
イメージは固まっていたけれど、思考能力が落ちている上に、「あんまり普段やらない弾き方」をしてしまったので、
弾いたあとの音が、「良いのか悪いか」「正しいのかどうか」
そして、わたしが望む正しいがどこにあるかだとか、そこにたどり着くまでにどうすればいいか
とにかく、判断に時間が掛かった。


思ったより時間がかかっちゃった。
そう思いながら、わたしは作業後の一服をするため、のろのろとキッチンへと向かった。



おにぎりだった。
キッチンに置いてあったのは、圧倒的なおにぎりだった。
お皿の上に乗って、ラップをかけてあった。
ひとつでいい、と言ったのに、ふたつ作ってあった。

これは、漫画とかでよく見るやつだ。
受験生のお母さんが「お夜食よ」と言って、持ってくるやつだ。
もちろん、自分の母親に、そんなことをしてもらったことはないし、して欲しいと思ったこともない。
こういうお夜食は、比喩的な存在、または、都市伝説だと思っていた。


麦茶をいれて、おにぎりを食べる。
口に入れた瞬間「おいしい」とつぶやいたことを、覚えている。
おいしかった。
今日も頑張ってよかった。
元気の出るおにぎりだった。
満足だった。


同居人は、本当にいつもごはんを作ってくれるけど
「ごはんを作ってくれるところが好き」とは、あんまり思っていない。
同居人に対しては、あんまり好きなポイントを持たないようにしている。

好きなポイントを持つと、そのポイントがなくなってしまったときに、どうしていいかわからなくなるからだ。
別に、ごはんを作ってくれるから、一緒にいるわけじゃない。
本当に毎日有り難いと思っているけど、二度とごはんを作らない、と言ったら、同居を解消したり、嫌いになったりするとか、そういう話にはしたくない。


それでも、
出来る限り長いあいだ、わたしにごはんを作って欲しい。
毎日じゃなくなってもいい
週に1回だけになってもいい。
できるだけ長いあいだ、この人の作るごはんを食べたいと思った。


そしてこの、安心して元気の出るおにぎりは
他の人には作らないで欲しい。

江國香織さんが、夫に「チョコレートだけは他の女の人にあげないで」と言っていたという
あの気持ちが、わかったような気がした。
そういう、特別なものだと思った。


そんな風に思ったことをすべてクチにしたら、「わかった」と返ってきた。
同居人は毎晩酔っ払っているし、会話の何割かを覚えていないこともあるので、アテにはならないことはわかっている。
まあでも、それくらいで構わない。

わたしは満足して、
お気に入りのぬいぐるみを抱えて、タオルケットにくるまった。



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