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踏切

すごく久々に、踏切を渡った。

直前で遮断器が降りてしまうことに、昔ほど苛立たなくなった。
1秒の長さは変わらないのに、わたしは少しだけ、ゆるやかにやさしく生きられているような気がする。

大学時代は、踏切のある街に住んでいた。

踏切の記憶は、いつも夜。
松屋でごはんを食べたあと、
駅前の花壇に座って、延々とおしゃべりをしたあと。

すべての電車が去った踏切で、わたしは立ち止まる。
誰もいないホームを見つめて、昼間とはぜんぜん違う景色だ、と思ったことを覚えている。
誰もいない、電車もこない踏切で、わたしは何度も立ち止まった。


よく入り浸っていた友達の部屋から見た線路のことも、ときどき思い出す。

たばこ、リプトンのミルクティー、フーセンガム
わたしたちは3人で好きなものを手に、ベランダに立った。
(あのころのわたしが煙草を吸っていなかったので、わたしがフーセンガム。生意気な子どもみたいだった)

線路を走る電車の方向はふたつだけど、行き先は様々だ。
この街には小田急線の駅しかないから、わたしたちはどこへ行くにも必ずこの電車に乗る。

電車は、どこへでも連れて行ってくれる。
でも、過去へだけには行かないんだ。

そんなふうに思ったことも、きちんと覚えている。

遮断器が上がる前に、左矢印が点灯した。
左右から電車がやってくる。
わたしはそれを、静かに見送った。

覚えているよ、とつぶやく。
あのときのこと。
鮮明じゃなっくても、形が変わっても、都合の良い記憶になってしまっているかもしれないけれど
覚えているよ。

きちんと未来に運ばれたわたしが、少しおとなになって線路を渡る。
この街の線路からは、駅のホームは見えなかった。



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