見出し画像

青いグラス

友人の山岡くん(sotto 山さん)が、
一緒に作詞した曲「青いグラス」をYouTubeに公開しました。
歌詞は、YouTubeに載っているので、見ていただけたら嬉しいです!

山岡くんとわたし

山岡くん、なんて呼んでいるけれど
学年はひとつ、年齢はふたつ上の先輩です。
大学時代の軽音部の先輩で、
当時、いつも家のポストに鍵が放り込まれていて、
ダイヤル式なのに、みんなその番号を知っていて、
誰かが勝手に部屋にいる。
それが、山岡くんの部屋でした。

なぜかわたしたちの代は、ひとり暮らしの人が少なくて
女の子のひとり暮らしは、わたしだけ。
わたしは、導かれるように、山岡くんの部屋に入り浸っていました。
一時期は、本人より部屋にいる時間が長かったかもしれない。

語りすぎると恥ずかしいし、「山さんめっちゃ良い奴!」みたいになって悔しいので
あんまりたくさんは話したくないけれど。
大学1年の終わりに体調を崩したとき、
家で引き取って面倒を見てくれたうえに、静岡から母親を呼び出してくれたのも
センチメンタルをこじらせて引きこもっていたときに、何度も電話くれたのも、山岡くんでした。

家族のようなひと、と思う。
いちばん繊細で臆病な時代
を、有無を言わさず守って、そばにおいてくれた人。

止まってしまったガスや水道の復旧に立ち会ってあげたり、
わたしがお世話したことも、たっくさんあるけども!
持ちつ持たれつ、それは大学を出てからも変わらなかった。

大学を出て十余年
一時期も途切れることなく、定期的に会い続けてきたひとは、この男かもしれない。


新しい音楽

彼のバンドが休止したときも、わたしたちは居酒屋で話し合った。
休止する少し前から連絡があって、
「曲を作りたいけど、歌詞の書き方がわからない」と
なぜだか、わたしを頼ってきてくれていた。

「ねえ、山岡くんは何をしたいの?」というのは、少し意地悪のつもりで聞いた。
末っ子のわがままさも持ち合わせながら、
他人を思いやる人だった。
でも、バンドがなくなって、守るべき対象が変わってゆく中で、
きっと、自分で決めなくてはいけない。自分で考えて欲しかった。

そうしたら、彼の答えは決まっていた。
「自分で作った曲を、歌ってみたい」

まっすぐだった。
偽りがなかった。
「できる」とか「できない」のではなくて、
クチにした瞬間、「もうやる」に変わっていた。

じゃあまずは、弾き語りのライブをやろう。
そうしてわたしは、自分のホームである、新宿ワイルドサイドトーキョー町田プレイハウス
ふたつの場所を、彼に紹介して、最初の弾き語りライブをワイルドサイドトーキョーで主催することにした。
いまから、3年ほど前のことだろうか。

わたし自身も、自分の音楽に首を絞められながら、足掻いていた時期で
ちょうど、弾き語りをはじめたばかりとか、そういう時期だったと思う。

歌詞作りのサポートをしながら、
わたしたちは、一緒に音楽をやることにした。


青いグラス

大学時代に作ったオリジナル曲を引っ張り出しながら、わたしたちは新しい曲づくりに着手した。
いくつか曲を作ったあと、スタジオ後、たしか下北沢の鳥貴族で話していたとき。
「青いグラス」の原型となる物語を聞いた。

この頃には、山岡くんのバンドが休止して、しばらく経っていて。
わたしたちも定期的にスタジオに入るようになったり、いくつかライブが決まっていたり
「次のステップ」のようなものに、進んでいるときのことだった。

「青いグラスを、買ったんだよね」
ほんとうに、歌詞のままの話だった。

わたしから詳しく語るのは無粋なので割愛するけれど、
本当に歌詞の通りだと思う。
バンドの休止を経て、新しい音楽に向かう
彼の気持ちの変化と、船出、旅立ちを、「青いグラス」がもたらしてくれた。
そういう話だった。

山岡くんの言っていることは、昔からよくわかる。
よくわかるような気がするし、あながち外れていないと思える。
つたない日本語で、どたばたとしゃべっているのだけれど、
「それってこういうことだよね」というのが、なんとなくわかってしまう。

だから、「青いグラス」の歌詞を「書いた」といえばわたしだけれど、
完全に、山岡くんの想いに、言葉に、憑依して書いた。

山岡くんの伝えたい言葉を、わたしのボキャブラリーにぶちこんで
チャンネルを合わせて書いた。

それが、「青のグラス」という曲になる。


そのあと

その後、山岡くんは
元バンドメンバーである、剛と一緒に音楽をやる、という夢を叶えて、旅立っていった。

いまでも、一緒に作った曲のいくつかを、演奏してくれていて
知らない土地や、知らない人に
わたしが携わった曲たちが届いているのは、本当に嬉しくて、感謝しかない。
わたしだけだったら出会えない人に、届いていっている。

「青いグラス」は、船出と旅立ちの曲だから
剛がライブで歌っているのを見て、これも本当に嬉しかった。

剛も同じ軽音部の出身なんだけど、当時そんなに仲良くなくて
いまでも、山岡くんを介してでしか接点がないような状態なんだけど
(飲みに行こ!なんて言ってたら、こんなご時世になってしまった…)

わたしが、山岡くんの想いを昇華させて、
この世界に放った、この物語を
今後は、剛が切り開いてくれていること。
こんなに嬉しいことはないよね。

剛のボーカルバージョンが聞きたい人は、折を見てsottoのライブに行ってみて欲しいな。


これからも

山岡くんからは、今でもたまに連絡がある。
わたし以外に頼れる人なんかたくさんいるのになーといつも思うのだけれど
頼ってきてくれるのは、純粋にありがたいし、うれしいなあと思う。

Twitterで、「青のグラス」を紹介したとき、
山岡くんのことを、愛と希望をうたうひとと書いた。

本当にその通りだよなあ。
アンパンマンみたいな人だと思う。
何も考えず、アタマのパンをちぎってあげちゃうようなひと。
少なくともわたしは、そうやってちぎられたパンに、たくさん救われてきてしまった。

また一緒に何か作ることがあるかもしれないし、
それは音楽や音じゃないかもしれない
それでも、

わたしたちは、お互いの長所とか短所を、丸裸にしながら付き合ってきたと思う。
これからもきっと、双方の人生にとって、役立つときが来るでしょう。
そのときは、考えをまとめる前でもいいから、頼ってください。
わたしも、君が必要だと思ったら、君の忙しさなんて度外視して、死ぬほど電話してやるから。

これからも、sottoと山岡くんの活躍を、わたしは願っているよ。
何度も言うけど、もう良い年なんだから、「無敵体力の山さん」じゃないんだから
ちゃんと身体大事にね。



(関連リンク)
山岡くんのYouTubeチャンネル
他の曲もすてきだし、これからも動画増えると思います。
お気に召した方はぜひ、チャンネル登録と高評価で応援してください!

もちろん、わたし(まつなが)のYouTubeチャンネルも!
気にかけていただけたら幸いです。


スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎