手の掛かるピアノ
毎日ピアノを弾くようになってから、650日ほど経つ。
毎日、という名の、48時間に2回くらいのペースで。
鍵盤の上を滑っているあいだは、1分から3分。体当たりの即興演奏。
思い付きで始めて、辞める理由が思い浮かばなくて今日まで来た。
ピアノを嫌いになれなかった。
あなたのいない人生を、結局のところ考えることができなかった。
小指の先だけでも繋がっていたかった。
いつでも、あなたの元へ帰りたいし逃げたいし、甘えたいと思っている。
ピアノはいつでもそこにいる。
わたしが勝手に、撫でたり逃げたり滑ったりするだけで。
※
変われたらいいな、と思っていた。
わたしのピアノ。
でも、「いつか変わればいいな」なんて思っているだけでは、大きな変化を遂げることができなかった。
当然だけど、目標があって過程があるのが道理だ。
なんとなく王子様を待っているだけじゃだめなんだ。王子様はお姫様を選ぶから、わたしは一等上等なお姫様にならなくてはいけなかったはずなのに。
ぼろぼろの服を着たままで、それでも結構幸福そうに笑っている。
変われたかはわからないけど、いくつかわかったことがある。
わたしなりの美しさ。
そこへ向かうための過程。
※
手の掛かるピアノ、というのがある。
わたしのピアノの大半は、演奏後少し加工している。
音色と、音符の位置を少し。
拍子から少し外れたものを、正しい位置に戻す。
最近は、加工を加味した演奏を心掛けている。
加工をする技術は650日の中で手に入れたから、大いに利用すべきだと思う。弾けるピアノが増えた。
加工の手間が掛かるピアノ。
それが、手の掛かるピアノだ。
演奏中にわかる。
どの程度の手間や時間で加工が終わるのか。
加工の作業は事務的で、どちらかといえば面倒で、へたくそなピアノを何度も聞かなきゃいけなくて
加工しなくても良いピアノを弾けるのがいちばんいいんだけどね。なかなかうまくいかない。
じゃあ、加工が簡単な演奏をすればいいのに。
わたしはもう、それを選べるのに。
時折どうしても、手間の掛かるピアノを弾いてしまう。
それは、わたしの好きなピアノだった。
わたしの好きな、わたしらしい、と思う。その、いくつかの要素。
今でも愛してしまっている。捨てることができない。捨てたくない。
今日も、ばかだなあと思いながら手を掛ける。
これからの手間を思う憂鬱さと
その音の響きに安堵する。
反対側のわたしが、同居する。
※
「嫌いな、面倒な作業とどう向き合い、乗り越えるかだと思う」
目の前の人は、おそらくこんなことを言っていた。
目標達成のための過程の、すべてが面白おかしいわけではない。
面倒なこともたくさんある。
面倒だから嫌いというわけではない。
それでも愛している。と思う。
※
どうして手間の掛かるピアノを辞められないんだろう、と思っていた。
ばかだなあ、何度も繰り返していたけれど。
好きなんだ、この音が。
弾きたくなっちゃう夜があるんだ。
ただ、それだけで。
ただ、手間が掛かるそれだけで
※
わたしは、愛する音を呑み込んだ。
忘れないように。
どこへ向かっているかわからない、わたしの人生と音が
せめて、わたしの愛には報いますように。
そのために、努めていられますように。
面倒だからと言って、
わたしが、わたしの音を、殺してしまうことがないように。
※毎日のピアノ
※今日のBGM
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