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あつくても、さめても

飲み物の流行りっていうのは、定期的にやってくる。
コーヒーばっかり飲んでいることもあれば、紅茶のこともある。
紅茶と言ってもアイスティーを常備する暮らしもあれば、あたたかい紅茶に牛乳を落としていることもある。
スイスミスのココアは、美味しすぎてすぐ飲んじゃう。飲み過ぎ危険だから、流行りと共に控えるよう気をつけている。

最近は、あたたかい紅茶ブームが訪れた。
寒いから、当然のように。

去年はたしか、サーモのタンブラーをもらったから、それにお茶を淹れていたような気がする。
ずっとあたたかくて、信じられないくらいの幸福だった。
ああ、タンブラーって家の中でも使っていいんだ。
これは、世紀の大発見だ。
洗うのが面倒、と思っていたけれど、それも勝手な思い込みだった。
物理的に「マグカップより手間」ではあるけれど、面倒と言うほどではなかった。

そのことを覚えているのに、最近はマグカップでお茶を飲んでいる。
最近、マグカップの断捨離に成功したーーーというのは、言い過ぎになっちゃうけど。いくつかを捨てた。
持っているのも忘れていた、と言えればよかった。
でも、そうじゃなかった。
胸の奥にひっかかったまま、戸棚の奥にしまわれていた。
使わないのに、捨てられなかった。この家に、越してきたときに。

たぶん、思い出を物理的に維持したかったわけじゃないよね。
ただ、引っ越しという非常事態のときに「マグカップを捨てる」という面倒なことをしたくなかっただけだよね。
わたしのことだから、きっと。
これは、負の遺産だ。
それを捨てた。
さよなら。好きだったよ。

そして、新しいマグカップを買った。
我が家のマグカップは精鋭のみで構成され、「どれを手に取っても大好きなやつ」になった。
紅茶ブームと共に、マグカップブームが訪れたのだと思う。

今日も、お気に入りのマグカップにお茶を淹れた。
そして「エッセイを書こう」と思って、10分ほど途方に暮れた。
そのままどうしていいかわからなくて、お茶を飲むことにした。
マグカップのお茶は、もう温度を失っていた。

ああ、あなたのことを愛している。

今日は、そんなふうに思っている。
わたしは、愛している。
それは、あたたかな幸福とは少し異なる。
わたしは、お茶やコーヒーが温度を失うその瞬間も、たしかに愛していた。
冷めたお茶をぐびっと飲む。さっきより、桃の味がじんわりと広がる。そんな気がする。
あたたかいお茶と冷めたお茶は、それぞれ美しいのだ。そう、信じている。いまでも。

それだけで生きられる。
少なくとも、1000文字くらいの言葉は綴れたと思う。

そしていつか、サーモのタンブラーを片手に「ずっとあったかいのって最高だね」というわたしを見つけたら、笑って欲しい。

「マグカップが好きって言ってたじゃん」と、あなたは思うかもしれないけれど
コーヒーも紅茶も
マグカップもサーモタンブラーも
ひとつを選ばなくったっていい。
「どっちも好きなんだよね」と笑うわたしに、きっと出会える。





※今日のBGM


※今日のマグカップ(この写真のNERVマグ。どうしても欲しくて通販で買ってしまった)




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