サッカーは第3の親
こんにちは。腹筋ローラーと悪戦苦闘している半顔です。
人はないものにあこがれる
まずはこちらをご覧ください。
122.僕はサッカーを愛することができなかった。|かとみつ #note
この方は、サッカーをする機会には恵まれたものの、母親が家を出るなど複雑な家庭で育ったようです。
いつしか、幸せな家庭を持つことが彼の人生の目標になりました。
サッカー関係者のnoteを見て、初めて申し訳ない気持ちになりました。
両親ともに健在な代わりに、その両親のせいでサッカーと触れ合うことがままならなかった僕とは180度事情が違います。
彼が私のような家庭を見たら、どう思うのでしょうか。
両親ともに健在なんだから、サッカーが出来ないくらいで贅沢言うな!と言われても返す言葉はありません。
人はないものにあこがれるといいます。
彼が他人の親子でのお出かけを羨望のまなざしで見てきた一方で、
自分は親なんかいいからとにかくサッカーをやってる子供が羨ましかった。
むしろサッカーの障害になる親なんていなければいいのにと思っていました。
その時の心境をつづったのがこちらです。
父、母、そして…
親もサッカーも、成長期にいかに触れ合うかが肝心なことに変わりはありません。
そしてその時期の喪失体験は、どちらも後年になって埋め合わせが出来るものではありません。
そう考えると、サッカーというのは父・母に次ぐ第3の親のような存在なのではないかと思えてきました。
勿論本物の親にはかないません。あくまで「第3の」位置づけです。
サッカーを経験してきた皆さんも、自分の人間性はサッカーで育まれたと実感している人は多いはずです。
僕の心に横たわる拭い難い喪失感も、第3の親=サッカーの喪失体験と解釈すると納得がいきます。
ボールは友達ですが、サッカーは親です(笑)
ひとつ確かなことは「第3の親」サッカーを子供の成長に生かすも殺すも、親のかかわり方が大きな比重を占めているということです。
少年サッカーは9割親で決まる
タイトルを額面通り受け取るのであれば、もし自分が親の反対を押し切ってサッカーを始めていたとしたら、残りの1割だけで勝負しなければならなかったことになります。
この年代、サッカーをやらせるかどうか、生殺与奪を握っているのは親です。
幼年~少年期の親の決断は、子供の一生を左右します。
子供がまだ、自力で人生の選択が困難な時期です。
是非、子供が胸を張って進める道に導いてあげてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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