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学校という組織のシステムエラー。

誕生日の日に初めていく美容室に行き、カルテを書いてほしいと言われ、誕生日欄に嘘の誕生日を書いてしまったJUNです!

僕はそういう人間です。朝一美容室で、おっさん二人が誕生日を祝っているその照れ臭さに絶えきれない人間なのです。

本日は、学校のシステムを見直してみようという話題。「誕生日」と聞いて自然と「おめでとう!」と出てしまうくらい「当たり前」の中にはエラーが潜んでいるという話です。

▶「守ること」が目的となったルール。

いろんな場面で感じるのですが、最近「ようやく!」となった話題から。

いわゆる「置き勉」とわが校では言われているものです。「何それ?」という方々のために説明すると、

「授業に使う道具を学校に置いていくという行為。」

のことです。

「あれっ?それいけないんだっけ?」と思うかたもいらっしゃるかと思います。実は、割と最近、公で解禁されたため、わが校もOKになりました。

しかし、僕は知っています。ずっと前から子どもたちは「置き勉」を求めていたことを。「置き勉死守派」の先生は、確実に全員持ち帰らせることにコミットし、毎日全力で戦っておられました。

しかし、解禁されてしまった今。その戦いには終止符がうたれたのです。さて、この戦いを振り返ったときに僕たちは何を得たのでしょうか。

この長い長い闘いで得たものを敢えてあげるのならば、

「先生たちに見つからない教科書の隠し場所。」

くらいでしょうか。校内の隙間には詳しくなったでしょう。1スペース100円くらいで貸し出せば、もしかすると漫画を隠したいという方々からの申し込みがあるかもしれません。

もうお気づきのように、この戦いから得るものはありません。誰かが何のためにつくったルールなのか考えずに、とにかく「守り通す」ことに全集中していた結果がこれです。

学校という組織にはこのようなシステムエラーがまだまだ残されているのではないでしょうか?

▶行きつく先は、望んだ未来なのか。

このシステムエラーは、家庭にも波及します。その代表格が宿題でしょう。

先程の話題のように従来の「宿題」を紐解いていくと、最後の最後に「叱られる」というゴール設定になっている場合があることに気づきます。

もちろん、そのシステムエラーに気づいて対応している先生方はたくさんいるのですが、「叱られゴール構造」を今の今まで頑なに守り抜いている方々もいらっしゃいます。

ざっくり書き出してみると、

①家庭学習の時間が本当にない。
②そもそも、やり方が分からない。
③なぜか、いつも家庭で紛失する。

という嘘のようなハードルが複数立っている中で、「みんな」に同じ内容や同じ量を求めること自体難しいと言わざるを得ません。

子どもが置かれた状況に対応していない機械的な宿題の量産は、親御さんか教師かの違いはあれど、子どもたちは「叱られる」というゴールにもれなくたどり着いてしまうのです。

▶まとめ。

本記事では、「学校という組織のシステムエラー。」についてまとめました。

さて、エラーばかり並びたてることはやめて解決方法も考えましょう。ずっと考えているのですが、やはり「自分のことは自分で選択する。」という方向性にもっていくしかありません。

宿題事態を「主体的な学び」にしてしまおう作戦です。

そのためには、「自分の学びを振り返り、自分の実力を伸ばすための宿題を選択する。」ことが必要なのですが、そもそもそんな時間があるでしょうか?

残念ながらほとんどないのが現状でしょう。

日々のマルチタスクに終われ、「何をしたいのか」考えることもないまま、与えられたことをこなしていくような勉強をどこかで打ち破る必要があります。

「自分について考える時間が確保されていないこと。」

これが、学校という組織の最大のシステムエラーなのですから!!

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