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自分を知るということは結局「比較」でしかない

「子どもと大人が夢を共有できる居場所」をつくるために活動をしているJUNです。

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この活動のきっかけは、「受け身の学校生活を送っている子どもたち」との出会いでした。

つまらなそうに授業を受け、「どうする?」という投げかけに「先生が決めていいよ。」と返してくる。

でも、「やるべき課題にはちゃんと取り組む」といった子どもたちを前に、「勉強ってもっと楽しくできるんだけどな…」と考えたことが、ぼくが第3の居場所をつくる”きっかけ”となったのです。

・やりたいことにとことん取り組める場所があったら…
・やりたいことを否定せず、応援してくれる大人に囲まれたら…
・できない!うまくいかない!を共に解決する仲間がいたら…

こんな場所を提供することが、子どもたちの「受け身体質」を打破するきっかけとなると考えたのです。

もちろん、ぼく一人だけでは一つも事はすすみません。

ラッキーなことにたくさんの協力者と出会うことができ、「ピースカフェ」という第3の居場所をつくることができました。

そして、分かったことがありました。

「自由に活動できる場所、応援してくれる大人をそろえたとしても、子どもの『やりたい!』は自然と生まれてくるものではない。」

ということ。

「さぁ、やってみなよ!」という大人のスタンスは、やりたいことに没頭する経験をもっていない子どもたちにとっては、戸惑いを生み出すことにしかつながりません。

なぜなら、そこに「問題意識」がないからだとぼくは思います。

学校を含めた普段の生活の中で、

「〇〇がやりたいのに全然時間がない。」
「〇〇がやりたいのに、材料が高くて買えない。」
「〇〇がやりたいのに、大人が許可してくれない。」

といった、「〇〇がやりたいのにできない」という「問題意識」のようなものがない子どもにとって、「自由」というのは乱暴すぎるのかぁと思うです。

「夢」とか「目標」を立てることも同じで、「知識」とか「経験」のない子どもにとって未来を確定させるよう強いることは乱暴だと思っておきながら、「ピースカフェ」という大々的な社会実験により、結果として乱暴さを実感するに至りました。

とはいえ、ピースカフェは始まったばかり。

子どもたちが問題意識をもつことなく、学校へ楽しく行くことができているという事実に対して「もっと問題意識をもて!」と敢えて言うこともないでしょう。

だからこそ、この結果を経てピースカフェの方向性をもう一度考える段階に入ったのだなと個人的には思っています。

・結果を焦りすぎないこと。
・目に見える「分かりやすいもの」を求めすぎないこと。
・関わってくれている「人」の思いを最優先すること。

これらを忘れることなく、「第3の居場所の在り方」を今後も追求していこうと思いますので、今後とも応援をよろしくお願いいたします。

最近はもっぱら政治家さん御用達になっている

▼結局、「自分らしさ」は他者との比較でしかない

noteをこつこつ続ける中で、「幸福な人生を実現するためには比較から脱しよう」と主張してきました。

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