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「ずる」を許してはいけない理由。

冬休みが終わり、残り3か月に全ての力を注ぎこもうとやる気MAXのJUNです!

そんなやる気のときこそ、やり過ぎてしまうのが悪い癖だと確信しています。さらに、注意しないといけないのは、些細な変化を見逃してしまうような凡ミスです。過去記事で「ずる」について書きましたが、

本日は、そんな話題。

僕たち人間は、常に清く正しくというわけにはいかなそうです。置かれた環境によっては、「自分を少しでもよく見せよう。」とか、「少しでも楽をしよう。」とか、「僕だけなら良いだろう。」とか思ってしまいます。少なくとも、僕は数えきれないほど思い当たる節があります。

何を堂々と主張しているんだと自分でも思いつつ、これは職業的にも大分マイナスなのではと思いながらも自分のことは棚にあげて正論を書いていこうと思います。

▶「ずる」を許してはいけない理由。

僕の学級経営スタイルは、この記事にもあるように「いいんだよ。」がベースになっています。

このスタイルを形成するまでに大分紆余曲折はありました。本当は、「熱血教師」に憧れ、「びしっ!」という効果音がしっくりくる学級経営をしたいという理想がありました。

しかし、折に触れて書いてきたように、「自分」という人間の特性上向いていないことが発覚し。背伸びをしない経営方針に落ち着いたのです。

「いいんだよ学級経営」には、もちろんメリット、デメリットの両面があります。その両面について話を続けていくと、話が戻ってこれないこと請け合いなので、メリットでもありデメリットでもあること1つだけ話題とさせていただきます。

その、両面を持ち合わせていることとは、

「子どもたちの判断基準が甘くなる。」

ということです。

「いやいや、それは完全にデメリットでしょうよ!」とおっしゃる気持ちも分かります。しかし、少しだけ座って聞いてください。確かに「びしっ!」と経営だと、判断基準も「びしっ!」としている故、「いいんだよ経営」で問題になるようなことは起きないかもしれません。

しかし、「いんんだよ経営代表」としては、この「子どもたちが、判断基準に迷った時にこそ話し合う価値がある!」と思うのです。

考えてみてください。僕のように「ちょっとならいいか。」と自分に甘えてしまう心は、多くの人が持ち合わせていることはもう隠し切れない事実であり、その姿を取り上げて、「やっぱり、ちゃんとした方がいいよね!」と、子どもたちが心から納得できたのであれば、その話し合いの価値じゃないですか。

これは、立派なメリットとして主張させていただきます! はい!!

逆に大きなデメリットもあります。「判断基準の甘さ」を見過ごしてしまうと一気にデメリットとして君臨し始めるのでご注意を!

例えば、持ち物について考えて見ましょう。学校で「持ってきてはいけない。」という決まりになっているもの(「学校の決まり」については言いたいことが山ほどあるのですが、またまた話しがそれるので我慢)を持ってきてしまうというちょっとした「ずる」をしたとしましょう。

このような「ずる」を見かけたら絶対に見逃してはいけません。

その、理由はずばり、

「誰かが『ずる』をして逃げられたことを見ると、やがて皆がいんちきするようになる。」

ということが分かっているのです!!#残酷すぎる成功法則
その理由は簡単ですよね。「教室」という小さな社会で名目上「判断基準となる人」である「教師」という存在が見逃したということは、「社会が認めた!」ということと同義になるのですから。

▶子どもたちの「判断基準」とは。

同書では、さらにおもしろいことが書かれています。

それは、物事の判断基準の話。大人も子どもも関係ありませんが、私たちが普段の生活で用いている判断基準は、「よいこと。」「わるいこと。」だけではないというのです。3つ目は何か分かりますか? それは、

「皆がやっていること。」

が、3つ目の判断基準として君臨しています。もっとざっくり言うと、「自分だけが規則を守ってばかをみたくない。」という判断基準があるということなのです。

そして、この基準があるということを知っておくのは学級経営に非常に役立ちます。なぜか? 学校はまだまだ「みんなで!」が蔓延していますよね。その矛盾に気づいた子どもたちや、気づかないにしろ居心地の悪さを感じている子どもは、きっとこの3つ目の判断基準をシビアに見ています。

そこで、教師が曖昧な判断をすると一気に学級ががたつく可能性があるのです。だからこそ、「いいんだよ。」と「それは止めようか。」の境界線には「シビア」に、そして「明確」にする必要があります!

▶まとめ。

本記事では、「『いいんだよ。』は、『何でもいいんだよ!』ではない!」という内容をまとめました。

ただ、注意しないといけないのは、

「良いか悪いか迷うような絶妙な事象を明確にルール化して曖昧なくきっちりと経営しよう。」

ということではありません。

むしろ、その曖昧なところを、

「どのように考え、みんなはどのような判断をするのか。」

という部分が大切ですよね。

これからの「社会」を共につくりあげていく若者だからこそ、学級経営に主体的な子どもになってほしいものです!!


気が向いたら聞いてみてください。


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