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修学旅行文集『裏・青丹よし』(中巻)

第4話「今井町散策と危険なラーメン屋」

 研修2日目、我々は奈良県橿原市今井町を訪れた。今井町は江戸期の町並みを残した地域であるが、特にこれといって見物するものはなく、修学旅行の目的地としては少々マニアックな場所である。
 ここに行くことになった経緯を説明するために、前日に話を戻そう。

 研修初日、我々が最初に降り立った駅で我々は焦っていた。奈良で見物するものが一つも決まっていないのである。というか、京都の研修計画もまともに立っていない。班の研修計画は班長M村が適当に書いて提出した。
 我々は駅で地図を開いて話し合いをしていた。

 するとそこに地理の先生が登場した。
 我々は地理の先生におすすめの場所をたずねた。すると、ある地域について、
「ここの水の流れを見ると楽しいよ」と紹介してくれたが、地理素人でも楽しめるのかと聞くとそれは難しいとのことだった。そこで素人でも楽しめる場所として今井町を紹介してくれた。
 どんな観点で見ればいいか質問すると、やはり水の流れを見てこいと言われた。さらに、
「詳しいことは歩いている老人に聞けばいいよ。けどコロナで話せないから瞬間的に済ませればいいよ。」とも言われた。
 こうして我々は2日目に今井町に行くことを決めた。

 着いてみるといきなり古い家がたくさん並んでいて、かなり期待が持てた。
 我々は町の中に入り、木造建築の家々を眺めながらぶらぶらと歩き、資料館の前まで来た。我々はそこに入り、展示を見学して今井町の成立経緯や家屋の特徴などを知った。
 今井町は戦国時代に形成された浄土真宗の集落であり、環濠など戦闘に備えた構造をもつのが特徴である。
 テレビでは今井町の紹介ビデオが流されていた。僕がそれをとても気に入ってしまい、我々はそのビデオを3回見た。

 我々が資料館を出て再び散策をしていると、観光ボランティアのおじいさんに声をかけられた。
 修学旅行で来ていると言うと町の歴史や住居の特徴について説明してくれた。資料館で得た情報よりもさらに詳しい内容を知ることができたが、1時間くらい話を聞くことになった。瞬間的に済ませることは不可能だった。

 我々はその後今井町のほぼすべての道を歩いた。
 なにが我々をそうさせたのかはよくわからない。ただ、もっとすごいものがあるかもしれないという淡い期待が、我々を次の道、次の道へと進ませたのだろう。
 普通は1時間程度で見学できるその土地で、我々は半日を過ごした。

 昼時もかなり過ぎ、我々は飲食店を探した。
 今井町内には古民家をリノベーションしたカフェやお蕎麦屋さんがあったが、高級感がありお腹もいっぱいにならなそうだった。
 我々はあてもなく今井町を出た。そして駅の方へ歩いていくと、1軒のラーメン屋を発見した。
 ものすごく汚い。外壁はボロボロになっているし、店の前の通路に食器のようなものがごちゃごちゃと置いてある。
 我々は意を決してその店に入った。

 案の定、店の中もかなり汚かった。床や天井は黒ずんでいるし、壁に貼られたメニューの紙も色あせて破れている。
 我々は座敷に座り、メニューに目を通した。メニューにはラーメンだけではなく様々な中華料理が記されていた。価格もけっこう安かった。
 僕とK田はわかめラーメン&半チャーハンセット(850円)を、M村はチャーハン大(800円)を注文した。

 料理を待っていると壁から突然ドンドンという激しい音が鳴った。我々は借金取りが来たのかと本気で心配した。後でわかったが、このとき外側から壁の修理をしていたらしい。営業時間にやらなくてもいいのに。

 店の中をキョロキョロ眺めていると料理が来た。まず、僕とK田の分が来た。M村のものはまだ来ていなかったが、麺が伸びてもよくないので我々は先に食べた。
 うまい!
 スープには程よい甘みがあり、麺もモチモチしている。チャーハンもパラパラなのにパサついておらず味つけもちょうどよかった。しかも半チャーハンなのになかなかの量だ。並盛りとして売ることもできそうだ。

 そしてついにM村のチャーハン大が提供された。
 我々は驚きを隠せなかった。チャーハン大は我々の半チャーハンの4倍ほどの大きさがあったからだ。
 普通のチャーハンが650円だったので、普通のチャーハンが半チャーハンの2倍の大きさだと仮定すると、チャーハン大は+150円で普通のチャーハンの2倍食べられるという計算になる。おトクすぎる・・・
 M村は初めこそうまいうまいと食べていたが、しだいにペースがゆっくりになってきた。チャーハンだけを食べ続けるのはつらいらしい。我々が食べ終わるころにはまだ4分の1ほどしか減っていなかった。
 その後少しの間格闘があったが、とうとう3分の2ほど残ってしまい持ち帰りになった。M村は夜になってもお腹が空かず、結局野球部の男子に食べてもらった。

 我々は食べながらあることに気づいていた。
 壁のメニューに杏仁豆腐850円と記されているのである。あの巨大チャーハンが800円でデザートの杏仁豆腐が850円だと・・・
 どういう値段設定なんだ、この店は。
 我々はお会計のときに思い切って店員さんに事情を訪ねてみた。すると、
「あ、あの丼で出しますので!」
 あの丼とは、隣の座敷のお客さんが食べていた担担麺(大)の丼だった。普通のラーメンよりかなり大きい。杏仁豆腐って丼で出てくるものだったのか。
 値段設定の謎は解かれたが、ひとりでデザートに杏仁豆腐を食べたい人はどうしたらいいのだろうか、という疑問だけは残った。

 会計を済ませ店を出たとき、我々は驚くべきものを目にした。


警告
〇〇さん、貴店とはなんら契約関係は一切ありません。通路上に無断でおいている流し台・洗濯機・植木鉢・テント・冷蔵庫・ゴミ箱・自転車・庇につるしてるテント等、再三再四移動をお願いしても無視させるので2021年3月31日までに撤去してください。尚、4月1日以降放置された場合は1日3万円を請求せざるを得ません。 地主


 この日はすでに2021年12月8日である。すでにこの日までに756万円の請求が発生していることになる。

 あのお店が今どうなっているかはわからない・・・

第5話「〇色の靴は危険!?」

 3日目の午後、東寺を見学し終えた我々が駅に向かう途上に、その店はあった。道の前には人形や置物のようなものがいくつか置いてある。外見からはどうやら雑貨屋らしいが、壁には占いという文字も見られる。見るからに怪しさを放っている。
 僕は当然通り過ぎるものだと思っていたが、M村は足を止めた。外側に興味を持つのは理解できるが、彼は中に入りたいとまで言っている。僕とK田は反対したが、彼はあきらめなかった。
 とうとう我々は中に入ることにした。

 せまく暗い店内を見回しても誰もいなかった。雑貨や古道具のようなものが混沌と山積みになっている。我々はすみませんと呼びかけた。
 すると、壁と思われた扉が突然開き、長白髪のおじさんが現れた!
 おじさんは占いをするスペースの方にいたらしい。一段高くなったその場所から、靴を履いて雑貨スペースに降りてきた。

 M村は店内を物色し始めた。はじめ、レコードやCD類が集まっている一角を丁寧に探していたが、気に入るものがなかったようで諦めた。
 彼がゲーム類のエリアに入ろうとしたとき、我々はK田がいなくなっていることに気づいた。この店の雰囲気に危険なものを察知し、一人で店外に退避していたのだ。僕はM村が掘り出し物を探している間、店の中で待っていた。実は僕も早く外に出たかったのだが、M村を一人にするとぼったくりに合う可能性が高いと判断したため、外には出られなかった。
 一人いなくなっていることに店主も気づいた。そして、店の外にいるK田を見て店主が僕に言った。
「彼、赤い靴だね。赤い靴の人はちょっとやばいね。」
 僕はそうなんですか、たしかに彼はちょっと変わっていますがねと言った。
 「赤い靴はやばいよ。けど黄色い靴よりはましだけどね」と店主は再び言った。黄色い靴の人はかなり危険な人物らしい。あなたの靴の色はどうだろうか。

 M村はおそらくスーパーファミコンのものだと思われるコントローラーを見つけた。彼はレトロゲーム好きでもあるので、それを欲しがった。
 店主にそれを伝えたが、他の商品(?)のケーブルと絡まっていて取れないので売ることはできないと言われた。

 結局M村は音叉を買うことにした。その辺の道で拾ってきたのかと疑うような見た目であったが、店主は新品だと言っていた。
 店主は最初1000円という価格を提示したが、僕が400円にするように言った。最終的にM村は800円で購入した。

 支払いも済ませ、我々が店を出ようとしたとき、どこから来たのか尋ねられた。我々が静岡県からの修学旅行であることを伝えると、
「静岡は危ないね、早く逃げたほうがいいよ。」
 彼は富士山の噴火について心配していた。僕はすこし嫌な気分になった。
 さらに店主は投資や株の話をした。
「〇〇の株いまやってみたほうがいいよ」
 我々はそうなんですねと言って店を出た。

 M村はその後の旅行の間、ずっと音叉を手放さなかった。歩きながら音叉を鳴らして耳に当て、その音を楽しんでいた。
 修学旅行から帰ってきた後も、彼は学校に音叉を持ってきては取りつかれたように休み時間に音を聞いていた。
 あの音叉には不思議な力があるのかもしれない・・・

第6話「神武天皇陵」

 今井町を出た後、我々は神武天皇陵を訪れた。
 神武天皇は日本の初代天皇であり、日本国を建国したといわれている。
 神武天皇陵は橿原市の畝傍山の近くに位置している。近くまで行くと森のようなものが見え、我々はその周りをまわって正面の参拝スペースに来た。
 広い砂利敷の空間の奥に木造の柵と鳥居のようなものがあり、その向こうでは茂った木々が中央の墳墓を護っている。
 ひんやりとした空気。何の音もない。我々は荘厳な雰囲気に息を呑んだ。
 ただ森が見えるだけではあるが、やはり何か特別な雰囲気を感じる。
 これが2600年も昔に日本を建国した人物の墓か。長い年月の流れを感じながら、我々はゆったりとした時間を少しではあるがその場所で過ごした。

 天皇陵を見た後、我々は県立橿原考古学博物館を訪れた。
 博物館では旧石器時代から室町時代までの遺物などを展示している。
 僕が興味を持っている縄文時代や弥生時代の発掘物も充実しており、写真を撮ることもできたので、僕は稲作の開始を示唆する出土品の写真を何枚か撮った。

 我々は展示の見学を終え、資料室へ行った。本棚を見ていると、天皇陵に関する書籍があった。
 我々は今神武天皇陵を見てきたばかりだぞ。これはぜひとも読んで理解を深めようではないか。僕はその本を開き、先ほど見学した神武天皇陵に関する記述を読んだ。
 そこには驚くべき事実が記載されていた。
 神武天皇陵に神武天皇は眠っていない・・・

 江戸期に天皇陵を探す動きが盛んになった際、とある古墳が幕府により神武天皇陵として根拠なく定められた。これは幕府が権威付けのために行ったことで、明治期には天皇家の神格化と統治の正当化にその存在が利用されたという。つまり、誰のお墓かわからないお墓を、とりあえず神武天皇のお墓と決めたのである。しかも、神武天皇陵はその後初めに定められた古墳とは別の塚に変更になっているという曖昧さである。
 僕はその資料を読んでなんとも言えない気持ちになった。
 そもそも神武天皇はその実在が確認されていない伝説上の存在である。僕はこのことを以前から知っていたが、考えないようにしていた。しかし今、神武天皇が実在したのか、今日見た陵墓は神武天皇のものなのだろうかという疑念が、僕の心にくっきりと生まれてしまったのである。

 博物館を出るころ、あたりはすでに暗くなっていた。
 我々が陵地で味わったあの感慨を取り戻すことはもうできない・・・


続く


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