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【社長インタビュー 02】 後を継いで社長になったけど、何をすればいいのかわからない。せめて、自分の会社のことは何でも答えられるようになりたかった。

インタビュー取材という手法を用いて思考の《 OUT PUT 》をお手伝いするというこの企画。当時はどんな悩みがあり、どのような解決策を用いたか、社長としての履歴をカジュアルなやりとりでまとめていく。
で、今回もまた八戸東和薬品株式会社の高橋社長にお願いした。
前回のインタビューで書ききれなかったことがたくさんあり、逆に深掘りしたくなった。飾り気のない物言いとスマートな思考は非常に面白く、高橋社長にはこの際とことん付き合ってもらおうかなと。もう連載みたいに。笑
 ↓↓ちなみに前回の記事【01】はこちら↓↓

八戸東和薬品株式会社  代表取締役 高橋 巧さん
八戸東和薬品株式会社ホームページ → hachinohe-towa.com

先代(御父上)が処方箋薬品の卸売業として1984年に創業した八戸東和薬品株式会社に、大学卒業後、花屋就職を経て2006年に入社。その6年後、32歳のときに事業承継により代表就任。高橋さんは社長歴11年目、二代目である。よく父の背中を見て子は育つと言うが、処方箋薬品の卸売業の姿よりも、独立・自営した姿に惹かれ、当たり前のように自分も何か起業しなきゃいけないと思い準備をしていたが、父から「仕事を手伝え」と言われたひと言がきっかけで入社、そして社長に。高橋さんにとってそのひと言の前には(アルバイトで)が隠れていたが、父にとってそのひと言の前には(社員で)が隠れていたのだ。笑

ーーー“本意”?じゃなかったにせよ、それなりの覚悟を持って後を継いだと思うのですが、はじめに高橋さんが取り組んだこと、社長としての第一歩を教えてほしい!です。僕と会う前の社長、高橋 巧さんを。笑

就任直後はお得意様に挨拶回りです。笑 他の社長よりも年齢が若かったのもあり、とにかく恥ずかしかった記憶が。そのあとは・・・・・・・・・です。実は、、、何もはじめられませんでした。。。。
社長って何をすればいいのか本当にわからなかったんですよね。先代の父はプレイングマネージャー、トップ営業というスタイルだったので、社長が一番売上を作らなきゃダメだ、一番働かなきゃダメだ、という考えだったので、いわゆる社長業やマネジメント的なことを教えてもらう機会はほとんどありませんでした。
ただ、6年間働いていた経験と感覚から、社長が営業以外何もできないこと、売上ばかりを意識した社内のピリピリしたムード、アイディアを出し合う雰囲気もなく、そして忙しく、残業も多く、人を増やして欲しいと言われても判断する基準軸もない、その他いろいろ思うところがモヤモヤありましたね。このままじゃ2020年まで会社は続かないんじゃないかと勝手に危機感を感じていました。

ーーー二代目っていうと先代のカバン持ちをして経験を積む、みたいな勝手なイメージがあったので、多少の安心感?安定感?があると思っていたのですが、高橋さんの社長としての第一歩が不安感?ってのがいい。笑
それにしても、よく30代前半でリスクを捉えられたなと感心します。

とにかく社長一年目は、その不安要素を解消するため、独学でしたけどビジネスのイロハを勉強しました。そして人に会っては、社長って何するの?経営資源のヒトモノカネって大事?決算書の読み方などなど、いろいろ相談しまくりましたね。全然わからないので。。
しかも処方箋薬品の卸会社って、事業数が少ないこともあり、トレースできる参考企業モデルもない。こんな悩みを共有しあえる同世代の社長にも出会えていなかったので、自分の中で先の不安に対する答え合わせができずにイライラしていた時期でした。
そんなときに株式会社YANAI総合研究所の箭内 武さんに出会ったんです。箭内さんは、今まで話を伺ったたくさんの事業主さんとは違い、とにかく具体的で一番腑に落ちた説明をしてもらえたので、そこからすぐにコンサルに入ってもらいました。僕にとっては師匠的存在です。

ーー 基礎がわかれば面白さも変わる。何事も。社長業も。 ーー

会社経営、マネジメントの基礎を一から学んでいったのですが、基礎を学べば学ぶほどカオスだった社内の不成立が浮かび上がり、自分でも判別できるようになってきたんです。そこで箭内さんと相談して最初に手をつけたのは、ボトルネックだった「在庫管理」からでした。
当時、業務がかなり忙しく、売上を伸ばす意識が暗黙の最優先だったこともあり、取り扱う商品量が増え続け、倉庫に入りきらない状況に。それに対して基礎を学ぶ前の僕は、倉庫が狭い=増築しないといけない=費用がかかるのは当然、の考えだったのですが、箭内さんと一緒に業務の効率化、在庫量の最適化を軸にしたカイゼンに取り組んだ結果、単純にスペースが生まれ、仕事がしやすくなっただけじゃなく、余計な出費も抑えられました。
ほんと基本のキでしたが、これが僕にとって潮目が変わったひとつのきっかけだったと思います。経営の理屈、会社の構造など、徐々にわかることが増えてきたのもあり、仕事(社長の役割)が面白く感じてきました。

ーーー高橋さんはよく「バンドのような会社にしていきたい」と言ってますよね。ひとつの方向性を決め、それぞれが主体的役割を持ち、その上でお互いの良さを引き出す、みたいな。バンドという表現は、業務の見える化、経営の整理整頓が進むことで見えてくるキーワードだと妙に納得します。
それと、ボクの先入観が強すぎたのかもしれないけど、「二代目」社長への印象が全然変わりました。笑

二代目が二代目を語るなら 笑、ひとくくりにできないってことですかね。内情を知らない人から「社長になっていいね」と言われたこともありますけど、みんなが同じじゃない。会社の規模感もあれば、後を継いだときの会社の経営状態によって、二代目の状況は全然違ってくると思います。
僕の場合は、継ぐ意思がなく、社長業も教えてもらわなかった属性、っていうのになるのかな。笑 実際のところは、リソースが整っていて周りからの信用があったことがメリットだったと感じています。先代と一緒に働いていた方々が真面目に丁寧に取り組んでいたおかげで評判がよく、今も仕事に対するその姿勢は、社内にイズムとしてうまく引き継がれています。

高橋さんに似た属性の二代目の方がいらっしゃったら是非コメントください。そして、二代目の属性関係なく、後を継ぐ前の心境は共感・参考にできる部分が多いと思いますので、高橋さんの経験をより知りたい方も是非。
次は、、事業の拡張をしたいと思ったきっかけとか聞いてみたいですねー。

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