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ソルティ・ドッグ

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塩日記2020
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#日記

私は息ができる

カナダのワーキングホリデービザを取得したけれども行かなかった。2019年2月に手続きを開始し5月に取得、そこから1年間有効だったので、働いたのちに2020年3月の契約更新を行わず渡加しようと考えていた。 秋には祖母の具合が悪くいつ逝去するかわからないと聞かされていたこと、冬に入るころには何やら様子のおかしい風邪様症状が海外で流行り始めていたこと、30歳を超えたワーホリがいかにリスクを伴うか悩んでいて渡加の準備とともに元々転職活動や資格試験も並行していたこと、などがあって、結

私たちはみな、人が繋いできた道の続きを歩いている

Congressman John Lewis before his passing wrote, 'Democracy is not a state, it is an act.' And what he meant was that America's democracy is not guaranteed. It is only as strong as our willingness to fight for it. To guard it, and never tak

善行に倦むことなかれ

This loss hurts, but please never stop believing that fighting for what’s right is worth it. It is - it is worth it. (Hillary Clinton, 2016) "STOP THE COUNT!"というツイートを見た瞬間、うんざりした。私は本当にうんざりした。こんなにも民主的ではなく傲慢な人間が、4年もの間、アメリカ合衆国大統領であったことを、ただの一度も

ここではないどこかなんてない

ひどく落ち込み、一通り怒り尽くしたら、私を閉ざしてしまう。人が当たり前に営んでいる生活全てがどうでもいい気がしてしまう。投げやりなのではないと思う、ただ本当に「どうでもいい」と瞼を落とす。死ぬかわりに私は眠る。果てしなく混沌と眠る。ただ眠る。眠っていればたぶん朝は来る。否が応でも。否が応でも朝は来る。 noteの下書きが187もあって私の言葉の多くはこうして枯れてゆくんだなと思った。思ったことや感じたことをおまえは素直に書きすぎだと時折苦言を呈されるけれど、誰も私の言葉がど

例えここが地獄だとしても

本記事内では、cakes「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう」に触れています。noteで公開するか迷いました。炎上した当該コラム、及びその後の複数の謝罪文を何度読み返しても、note株式会社あるいは関係者にジェンダーバイアスがあるのは間違いなく、そのような方たちの目に私の文章が触れたために「やはり女は感情論でしか語らない」と(意識的であれ無意識的であれ)思われるのは大変不本意であるため、先に書いておきます。 感情の発露にはおおよそ全てに理由があり、より深い内的動機があってそ

水槽の中で熱帯魚は共食いする

12連勤明け、美容室へ行ったら側頭部に小さな禿げができていた。マジか。ウケる、いやウケない、働きすぎだろ、全然面白くないが笑ってしまった。私はこうして自分の身に降りかかった小さな不幸を、瞬間的に笑い話にして逃避する癖をやめたらいいと思う。自己憐憫に対する自罰感情、自罰感情に対する赦免欲求を、小さな水槽の中で泳がせて眺めている。 10年以上切ってくれている担当さんが発見したときは感情の水面を撫ぜられただけだったのに、インスタのストーリーにあげたものを見て話し掛けてきた同僚には

破滅するにはまだ早い

お気に入りのカフェで、推しにファンレターを書く。期間限定のイチジクとぶどうのパンケーキに、普段は四季春を頼むのだけど、めずらしくジャスミンティーを頼んだ。夏のうちに送るつもりだったので便せんは100%夏模様だ。彼女が手に取るときには秋も随分深まっていることだろうに。文章の中で謝っておく。ああ、字が汚い。私はあらためてペン字練習をするべきだ。 友だちに手紙を書くようにファンレターを書く。みんなのことを聞かせてもらえるのが嬉しいと言っていた顔を思い出しながら言葉を選ぶ。静かにゆ

誰かの言葉に感銘を受けてきたから私はずっと書いてこられたし、これからもきっと書いていける

小説用ブログを立ち上げた話とラス為の紹介は無料、ハニレモの話は有料 ▽▲▽ 不甲斐なくて泣いた日の夜に ただ強くなりたいと願ってた そのために必要な勇気を 探し求めていた - 米津玄師「ピースサイン」 小説家になろうで連載し、書籍、ゼロサムオンラインでコミカライズされている「悲劇の元凶となる最強外道ラスボス女王は民の為に尽くします。〜ラスボスチートと王女の権威で救える人は救いたい〜」(通称ラス為)がめちゃくちゃおもしろすぎて、web掲載第1部全693話を2日半で読みきり

¥100

あなたが「いる」ならそれだけで

眠れねえ!という深夜テンションで書いただけの「まちがいさがし」がおそろしいほどページビューを稼いだり(当社比)、去年投稿したときにはほとんど反応のなかった記事がある日突然に読まれ出したり、マジでどうしたと思いながらダッシュボードを眺めている。それならこの流れのまま、ハニーレモンソーダの記事がもっと読まれたらいいのにな。単行本がよく売れているようで、2020年10月号のりぼんにはついに三浦界くんが主役の番外編が登場したから「もっと売れろ」と思っている。番外編、私の三浦界くんへの

敗北していることはわかっている

人間、キレると何するかわからんなあ、と思う。先週の火曜日、内なる線が断たれる音がして、1人で架電100本ノックした。1人で8時間電話をかけ続ける。ブラック企業の営業職でもやっていけちゃうな、私。 タイムリミットの決まっている仕事をしているとき、目の前の作業を片づけている自分と次の作業を考えている自分、周りの業務状況を観察している自分、指示や依頼を検討する自分が常にいる。脳内のスケジュールは分刻みで更新されていく。マルチタスクのほうが圧倒的に業務が捗る。自分で言うのもなんだが

さようなら、夏

朝、noteにログインしたら「noteを始めて2周年記念」というポップアップが出た。日付は8月31日。わかりやすい、夏の終わり。 noteの初投稿は、2年前の「8月31日の夜に」だったのだとおぼろげに思い出した。下書きの奥底に埋めてしまった最初の記事は、8月31日の夜だけがつらいわけじゃない、この日が過ぎたらどうせ忘れるんだろ、見えているのに見ないことにするんだろ、そうして、勝手にきれいに悲しみを均したつもりになって、また来年の8月31日の夜だけ同情するんだろ、ふざけんな、

人真似をつづけてきた私の

うまくなりたかった。本当はいつだってうまくなりたかった。氷の中に生花を閉じ込めるように、美しさを凝らせた言葉を、書いてみたかった。 人真似だった。インスパイアとかオマージュとかそれらしい単語で誤魔化しながら、自分の文章や物語が人真似でしかないことを知っていた。憧れて筆写したあの人の文章で、おもしろくて読みふけったあの人の構成によく似た物語で、私の創造力が「その程度」だと自覚したのはだいぶ昔のことだ。10代の私は、本なり広告なり映画なり、心を動かされた表現を、ノートによく書き

たゆたえども沈まず

寝起きするだけでシーツに皺が寄るように、生きているだけで皺寄せがくる。誰かとしゃべるために顔の肉を持ち上げ、垢が出るから風呂に入り、伸びるから爪を切る。最低限を成し遂げるために力を振り絞っても足りたことはなかった。いつも、最低限に達する前に意思と肉体が切れる。  - 宇佐見りん「推し、燃ゆ」(文藝2020秋) 春から、負けず嫌いと責任感と、少しの憐憫で息をしていた。折れると思う瞬間は何度もあって、7月下旬からは「もうむり、できない」をひとりで繰り返した。世間が夏季休暇に入る

逝く夏

「もうできない」と思っている。もうできない、これ以上仕事を抱えられない、まわすだけの知力も体力も経験も私にはない、大学を卒業してからずっと非正規だったからほとんどこの能力は叩き上げなのである、自力でどうにかしてきた、でも、がむしゃらに頑張ったところでここでは雇用形態が変わることもなければ給与も上がらないしボーナスもないし夏季休暇ですら正規雇用同様には扱われない、まるで雑巾だ、私は雑巾、使い古されてくたばったら新しいものが用意される、それだけの存在。わかっているから「もうできな