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2話 陸上選手への第一歩

小6で陸上と運命の出会いを果たした花谷少年は、そのままだと陸上部の無い中学校へ進学することになっていた。こんなに別れの早い運命の出会いがあるだろうか。

ところが、思わぬ展開により事態は回避される。
引っ越すことになったのである。

これは、前々から決まっていたのか、急に決まったのか、両親の気遣いなのか、神の導きなのかわからないが、中学校入学のタイミングで転校することになった。
今振り返ってみれば、このイベントが無ければ今の自分はここにはいない。20年前、陸上部がなければ、陸上をする方法を他に見つけられただろうか。だからこそ、陸上部の無い学校に通う、陸上を志す選手のサポートができる今の仕事には使命感を持って取り組めているのだと思う。

4月になり、中学校へ入学した。
他の部活動には目もくれず、念願の陸上部に入部した。小学校6年間を共に過ごした友達は一人もおらず、寂しい思いもたくさんしたが、それでも放課後が楽しみで仕方なかった。

部活動が始まって早々に、究極の選択に迫られた。

「短距離か長距離どっちがいい?」

これは2択に見せかけた1択である。
長距離を苦手としていた僕は、スプリンター花谷として、長い長い陸上人生の第一歩を踏み出した。


ある日、初めて100mのタイムを計測することになった。
消去法で短距離を選んだとはいえ、少なからず足の速さには自信があった。
人生で初めて走った100mは、15秒7だった。
陸上を知っている人ならわかるが決して速いタイムではない。
しかし速いか遅いかもわかるはずもなく、ただなんとなく、自己記録という称号のようなものを与えられたことが嬉しかった。

ここから、中学1年生は100mを中心に取り組んだ。
1500mや走幅跳に出たこともあったが、この時は100mに夢中だった。
予選落ちしようが、人に負けようが、悔しいとも何とも感じなかった。ただただ、自分の世界で、自分の記録を更新していくのが楽しくて仕方なかった。
夏の試合で13秒99を出したときは、高い高い壁を越えたような気がして、記録掲示板の前でニヤニヤを抑えきれなかった。結局半年で13秒55まで、記録を伸ばすことができた。

この頃から陸上競技マガジンを読み始め、寺田的陸上競技WEBを毎晩チェックするのが日課になり、陸上マニア化が始まった。


「来年は12秒台出せるかなぁ」なんて思いながらシーズンオフを迎える頃、顧問の先生に呼ばれて告げられたのは、100mクビ宣告だった。

サポートいただけたら嬉しくて三歩跳びます。