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私という人間(前編)

おおまかな自己紹介

はじめまして。はなたろと申します。
このページに辿り着いてくださりありがとうございます。
簡単に私の自己紹介をと思ったのですが、非常に困難な事だと気付きました。
簡単に語れる人生を送っていないのです。

プロフィールに記載している通り、私はパニック障害を患っており、過去に飛び降り自殺を図ったこともあります。
生きていることも奇跡と言われておりますが、車椅子も卒業して現在は杖で歩けるようになりました。
そのことについては後日詳しく書いていきます。
noteを始めるにあたり、少しばかり私のバックグラウンドを伝えたいと思います。


『生まれた環境』

幼少期より複雑な家庭環境で育った私は、いつも大人達の顔色を伺っている子供だった。
小学生の頃には何も言われなくても勉強をして反抗することもなく、“いい子”でいることが当たり前だと思って生きていた。
親に強いられていたのではなく、自らの意思でそうしていた。
なぜなのかは今でも分からない。
子供心に空気を読んでいたのだろう。

私には腹違いの姉と兄がいる。
父は二回目の結婚だった。
両親は歳が離れており、母は若くして二人の子供を大人になるまで育てた。
私が生まれたのは長女と長男が大人になってからなので姉兄と言うよりも親戚のお姉ちゃん達という感覚の方が近かったかもしれない。
生まれた時に既に私は“叔母”になっていた。
1つ年上の姪っ子のことを幼い頃は従姉妹だと思っていたくらいだ。
少しずつ現状を理解していった私は、自分の家庭はよそとは違うのだと感じ始めた。

複雑な家庭環境ではあったけれど、不幸だと感じたことはなかった。
姪っ子とも仲良しだったし、両親も仲が良かった。
私が小学校中学年くらいまでは。


『両親の離婚』

私が小学校五年生の時、両親が離婚した。
私は母について行き、7つ上の兄は父のもとに残った。
理由はここでは割愛するが、離婚は私が母に促した。
学区外に引っ越したが、小学校を卒業するまでは転校することなくバス通学をすることになった。

入学した中学校は小学生の頃の知り合いが一人もいなかった。学区が違ったからだ。
一ついいことがあった。そこには吹奏楽部があったのだ。
何の影響を受けたわけではないのに、私は吹奏楽部に入ってSAXを吹くと入学前に話していたのを今でもはっきり覚えている。

あの時私がSAXと出逢っていなければ、現在私はここに存在していないかもしれない。
それくらいにSAX、音楽は私を支えてくれた。
命の恩人だ。

楽譜も読めなかった私が、いつしかプロになりたいと思うようになっていった。
SAXは私の命だった。あの頃の私の全てだった。大袈裟でもなんでもなく。

高校でも吹奏楽を続けた。間違いなく私の青春だった。ずっと私の一部だった。
両親の離婚がなければ私は吹奏楽部のない中学校に行くはずだった。
中学が私の大きな分岐点だったのだと思う。


『パニック障害の発症』

中学時代、あまり人が経験しないことが私の周りで起こっていった。
おそらく“それ“が原因なのだろうが、私は『大きな音』『風』『揺れる譜面台』などが怖くなるようになった。
吹奏楽部員なのに、音が怖くなる現象は致命的だった。それでも私は部活を続けた。
仲間にはたくさん迷惑をかけたけど、みんな私のその症状を理解してくれていた。
病院に行ったのは高校を卒業してからだった。
「パニック障害」ですね。と軽く言われた。
あんなにも苦しくて音楽をやめなければいけないんじゃないかと悩んだ病気は、割と誰でもなりうるものだったのだ。

私は今でも通院し、お薬を飲んでいる。
中学・高校時代の私は1日3時間くらいしか寝てなかった。
相談できる人もいない、だけど厄介事を毎日私に仕掛けてくる。そんな人がいたんだ。

高校を卒業して、とうとう電車に乗れなくなってしまった。
SAXのプロになるという私の夢は、あの時の私には難しいものとなっていた。
その地点で苦しかった。
推薦で入る事は出来たが、資金がなかった。
父が借金をしたことがあり、私の学資保険も解約されていた。
どんなに勉強して練習しても、私は大学で学ぶ権利さえ与えられなかった。

どんどん病状は悪化していった。
周りの人達に対する申し訳なさでいっぱいになった。
いつしか私は常に死を考えるようになっていた。
成人しているのに自立出来ていない自分がみんなの邪魔なのではないかと思い込んでいた。
次第に電車にも乗れなくなり、とうとう外に出ることさえ怖くなってしまった。
病院さえも当時付き合っていた彼にお薬をもらいに行ってもらうほどだった。

18歳の頃から何度もオーバードーズで入院した。自傷行為や、ピアスをたくさん開けることで自分の『生』を感じていた。
五体満足で、色々あったとはいえ家族もいて友達や恋人もいる。
今思えば私は幸せ者だった。
悲劇のヒロインぶっていた。

人は失わないと気付けない生き物なのだと身をもって実感した。
私は失ったものが多すぎた。
私のような人間を生まない為に、自分の人生を公開していこうと思う。


夢を見つけた私

私は2022年夏頃からイラストの勉強を始めた。
絵心皆無の人間が、なぜ絵を仕事にしていこうと考えるに至ったのかの経緯も今後話していければと思う。
PCの知識も皆無だった私が現在Adobeの勉強をしている。
目標はAdobe最強人間!
生きることに不器用な人間が右往左往しながらものし上がっていく様を見届けてください。
人は何歳からでも成長できる。諦めない限り。

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