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パン「自己責任って楽だよ」

突然のパン欲

ある夜,私は唐突にそれが食べたくなった。

特定の何かが無性に食べたくなるのはよくあることで,今回はあるパンだった。

「むぉっちもち」と「さらさら」が一緒にいる味わい深い生地の中に,これでもかというほど小豆やうぐいす豆が練り込まれている。夢中で食べていると零れ落ちてしまうほど。このパンは1日15個限定なので,私は用事の前に店に向かった。

すると,かごには一つも入っていない。他のかごが大体埋まっている中でひとつだけ,空っぽのかごが棚に置かれていたと思う。

「あぁ、間に合わなかったか。」

時間は,あと少しで11時というところ。9時開店のお店の限定パンを狙うには,遅い到着である。その自覚はあったので,「なんで!?!?!?!?」とか、「口があれを求めているのに!!!!」といった強い気持ちは感じなかった。
ただ,寝る前に「明日はあれを食べるんだ」と思ったものが食べられず,ほんの少ししぼんだだけである。

でも「売り切れました」とも書かれていなかったので,ダメもとで店員さんに聞いてみた。すると明るい声で,

「ちょうど今から焼きま――――す!!!!15分で出ます!」

とのこと。私は希望が見えて嬉しくなったが,用事に間に合わなくなってしまうので「用事の後,1時間後にまた来ます」と伝えて店を後にした。

変わったかごと脳内台詞

用事を済ませ,意気揚々とお店に戻った。
天気は曇り空で,無駄になるかもしれない長傘が邪魔だったけど,そんなことはどうでも良かった。
とにかく早く,あのもちもちと豆の甘みを味わいたくてワクワクしていた。

店に着き,お目当てのかごに一直線。様子が違った。
「本日は売り切れました」と,男の人が土下座しているイラストの紙。言葉にならなかった。衝撃が大きすぎて思考停止しているような,それでいて本当に何も感じていないような,よく分からない状態だった。とにかく,さっきしぼんだ時のような脳内台詞は,何も浮かばなかった。

しばらくたってからようやく,「とりあえずお昼ご飯は食べないと」と脳みそが話しだした。それではっとして店内を改めて眺め,お花の形の可愛いパンを選んだ。
レジに行くと,名前と時間が書かれたビニール袋が店員さんの後ろに見えた。もしや,と思った。

店員さんによると,最初の来店時に伝えておけば余裕で取り置きができたそうだ。
それを聞いた瞬間急に脳内台詞が元気になって,「あの時言ってくれれば良かったのに!」と叫んできた。私はその台詞を上手く処理できず,お金を払って店を出た。

脳内台詞はもう止んでいたが,その後も私は脳内台詞に賛同するか悩んでいた。言い分は理解できる。私は店員さんになると,「よろしければお取り置きしますか?」と聞くタイプだからだ。
ただ,それでも「脳内台詞よ,お前は正しい!なんてかわいそう!!」とはならなかった。むしろ浮かんだのは,「そりゃ店員さんも分からないよねぇ」「ダメもとで,取り置きできるか私が聞けば良かったんだよなぁ」だった。

そう思って次行った時の取り置きを計画したら,心は驚くほど穏やかだった。自分の聞き分けの良さが,少し気味悪くも感じたが。

パンがおいしかったわけ

家に帰り,お花のパンをトースターで温めて食べた。

その喜びを逃さぬよう,私はあらゆる思考やパン以外の外的刺激を出来るだけ遮断して,五感が教えてくれるものをひたすら受け止めた。
お豆の優しい味はしなかったけど,生地の弾力と花びらにのった色々な種が,私を毎口違うように楽しませてくれた。

食べ終わってからふと,「イライラしていたらこのおいしさに向き合えていただろうか」と思った。

相手が気を遣ってくれなかったことにイライラし,イライラしている自分にイライラし,長傘を活用できないことにイライラし,目の前にあるお花のパンにイライラする。
その状態で,このパンのおいしさと向き合うことができただろうか。

そう思うと,初めて「自己責任」という言葉に良いイメージを持てた

「あの人がこうしてくれたら良かったのに」と嘆くと自分の感情に素直な感じがするし,自分に優しく出来ている気がする。逆に,「食べられなかったのは自分のせい」と言われると子供時代の反抗心がむくりと起き上がりそうになるし,自分が悪いことをしたみたいで忍びない。

でも,「自分が言えば食べられたよ」と聞くと,なんだか自分がもの凄い力を持った人に思えてくる。人のせいにするよりも,自分への気持ちが明るくなってイライラしない。
しかもたとえ望みが叶わなくても,次にやるべきことを自分がやればOKで,他の人がどうしてくれるかは関係ない。

なんだかこれって,とっても楽で自由なことなのではないだろうか。やれなかったらやれなかったで,また次なにやるかを考えればいいんだから。


こんなことを言っていても,自分のことの責任を全部自分で背負うと思うと、正直まだ怖い。

けど,おいしいパンのために、ちょっと頑張ってみたいと思った。


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