筋トレで「人間」に戻る

「おうち時間」なんて言葉もすり減ってきましたが,皆さんはどう過ごしてきましたか?私は,筋トレが生活に馴染みました。
最初は暇つぶしやコロナ太り対策。でもある時から,「筋トレは私にとって人間に戻る手段だ」と思うようになったんです。

身体が消える時

私は「思考偏重型」だそうです。
色んなことに対して常に思考を巡らせていて,勢いで動いたり物事を鵜呑みにしたりすることが少ない。

石橋を叩く派なんだと思います。多分叩き割っていることもある。

そんな私も通常以上に頭を使っていると,いわゆる「ゾーン(フロー)」に入ることがあります。
時間の感覚が薄れ,温度などがよく分からなくなり,キーボードを叩く自分の指を「自分が」動かしている実感も無くなっていく。
考えている内容以外は全てがふわふわしていて,全てが頼りないのです。

こういう時私は,自分が脳みそである気がしてきます。SF映画に出てきそうな,脳みそにコードを繋げられ夢を見ているだけ,といった感じ。
世界から色んな刺激を受け取る身体は無く,考え発信する脳だけの悲しい存在です。

それだけならまだ良いのですが,こういう状態の時は思考の攻撃力が上がります。一度抑うつ方向に傾けば,負の思考は肥大しつつの無限ループです。

私が特に筋トレしたくなるのは,こんな時なんです。

強烈に身体的な営み

筋トレって苦しいじゃないですか。自分がいじめたところが痛み,張りつめ,じきに緩んでいく…なんてシンプルなんでしょう。
そんなことをひたすらしていると,嫌でも「身体」の存在を感じてきます。

そうすると今度は思考の方が崩れてきて,ひたすら身体と対話するようになります。汗をかいたり喉が渇いたりもして,脳みそだけの自分に身体が戻ってくるのです。いや、戻ってくるどころか激しく主張までしてきて,「自分は生身の人間として生きている」と実感させられるのです。頭ではないどこかで。

そうなると、考えていたことが少しスッキリしてきます。過剰な暗さが消え、ポジティブまでいけなくても、妥当な考えに近づいていくのです。

この「自分の身体の輪郭が思い出させてくれる」ところも,筋トレの魅力なのかもしれません。


それ以前もやっていた筋トレが,コロナ禍に入り更に大きな日常の一部になりました。それには多分,思考偏重型な私の逃げ道としてのこの役割が関係してるのだと思います。

ボディービルダーさんにとっての「筋トレ」像も,いつか聞いてみたいなぁ。分かりあえるかもしれないし……

そんなことを思う今日でした。


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