生きていくこと


セブから怒涛の帰国を終え、日本・地元に帰ってきた。

あんなにセブ で心配していたセブロスは予想外にも起こらず、自然に日本にいる自分を許容している。そして帰国後は姉夫妻に送迎をしてもらい、母に家に迎えてもらい、少し煙たがっていた父とおばあちゃんと過ごす時間も楽しくなっている。英語が忘れそうで、日本のメディアにも洗脳されるのが怖かったので見るのが嫌だったテレビも想像していたよりも面白くて、毎日食べる納豆卵かけご飯にさえ感動する。日本って快適で楽しいかもとさえ思っている自分に驚く。


でも、やっぱり日本は私で言う現実世界に変わりはなかった。私の身の回りはただ美化されてただけだったなあ。と。家族に会えて楽しいと思う反面、母親にはたった数日で家から出てって欲しいと切実にお願いされた。本心でなくてもいらっとすると強い言葉を放つ母親は変わってしまったのではなくて、私がただ遠くにいて忘れていただけだった。父親は稼いでいても稼げなくても悩みは絶えないみたいで。娘の私が大好きで仕方ない子想いの父親に変わらないがいまだに貯金はできない・ギャンブルやめない・祖父に対しての態度は幼い子供のようで、なんだか私は言い表せない気持ちになる。

それでも私は家族が大好きだ。だって全部家族が私を一番に応援し、導いてくれた。でも24の大人になった今、彼らも人間なのだとすごく実感できる。人間とは欲望に塗れて、間違いだって必ずするのは重々承知だからこそ、苦しい。家族がいわば私の神様だから。

そしてもう一つの大きな出来事は、友達が病気になった。こんな身近な存在がそうなるなんて、いまだに信じられないし、人間いずれ死ぬけど、なんで死を実感した時ってこんなに悲しいんでしょう。

家族にも助けを呼べなかったり、家族によって苦しめられることも多い中で。どうにもできない病気に苦しめられたり、生きてることって苦しむことなのかなとさえ最近では思ってしまいます。見せないだけでみんな誰しも、辛いんだとも今は心から思います。


そんな私も昨日は心が救われた経験をしました。生粋のクリスチャンの友達が、祈ってみな。って。口に出して祈ることは無宗教の私には感覚もわからず、恥ずかしさえありましたが、祈りだすと涙が止まらなかった。

やっぱり家族は人間で、神様は神様。幸せになるために何かを信じることはこの現代社会を生きていくために必要なんじゃないかと、薄々感じてきています。


今日も戦う友人のために祈ります。





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