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流星群【反物とイラストとショートストーリー】

「あっ、相田あいださん! ポケット、ポケットが光ってますよ!」
 大通りからそれた道に入るなり、ゆうさんがジーパンの右ポケットを指差し驚いた表情を見せる。突然のことに僕も「えっ、あ、ああ!」と自分のポケットの隙間から漏れている光に驚くしかなかった。
「光るキーホルダーとかですか」
「いえ、これは……」
 そっとポケットに手を差し入れる。指先で中のものに触れ、それから全体を握りしめた。
 これが光ってる……としたら、
「星です」
 言った直後に恥ずかしくなる。そのわりに、すっと声に乗って言葉が出てきた。
「星、ですか」
「星、です」
 断言したくせに僕自身も半信半疑だった。 握った拳を引き抜きゆっくり指を解きながら、「本当か?」と目を細めつつも耳元で脈打つ音が聞こえてくる。首筋を汗が伝う。ドキドキしていた。
「あ、本当だ」
 即座に肯定してくれた優さんに、「でしょ!」と思った以上に大きな声を出してしまった。
「あ、すみません。実は僕も今、びっくりしてて」
「普段は光らない星だからってことですか?」
「さあ、いや、どうなんだろう……」
 コルクで蓋をされたガラス瓶の中で、煌々と光る星。僕の手のひらの上にあるそれを、2人してしばし見つめていた。

☆☆☆

 優さんも僕も、最寄り駅近くのビル2階にある珈琲店の常連客だ。
 流行りのカフェとは異なり店内の忙しなさとは無縁なその珈琲店では、自ずとひとりで訪れる客が多く、各々が好みのコーヒーを飲みながらひとりの時間を堪能していた。
 僕が足を運ぶのは日曜の夕方が多い。
 この半年ほど、ただただボーっとしたり読書をしたり。軽食をたしなんではコーヒーをすする。30半ばにして行きつけの店がはじめてできたと言っていい。
 5、60代と思しき男性店主や常連客と言葉を交わす機会はなかったが、毎週同じ時刻に訪れていれば、同様に同じ時刻に来店している客の顔や風貌をなんとなしに覚えていく。
 優さんもそのひとりだ。

 先週の日曜だった。
 いつものごとく17時過ぎに店を訪れると既に見慣れた客人が3人、ほどよい距離を保ちテーブル席についていた。
 僕のあとに続き来店したのが優さん。ブレンドコーヒーを注文したタイミングもほぼ同時だった。
 暑い日は冷たいものをカッと飲み干したくなるが、夏でもホットを頼む快感と余裕をこの夏この店で覚えた。
 やがてテーブルに届いた湯気のたつコーヒー。共に、さり気なく豆皿が添えられる。時折こうして、ナッツなどのおつまみを店主がおまけで提供してくれるのだ。
「よろしければどうぞ」
「ありがとうございます」
 ここで交わされるコミュニケーションといえばこれくらいだった。
 しかしこの日はいつもとは違った。
「あ、金平糖! なんだか金平糖って星のかけらみたいでいいですよね」
 店内にひときわ大きく響いた優さんの声。 反射的に僕は、彼女の方へ視線を向けた。他の客も同様に反応し顔を上げる。
 その様子に気づいた彼女はぐるりと店内を見渡し「あ、ごめんなさい。声が大きかったですね」と恥ずかしそうに小さく頭を下げた。
 自分の目の前に置かれた豆皿の上にも、色とりどりの金平糖が転がっている。
 星のかけら、星のかけら、星のかけら──。
 脳内で反芻される、彼女の言葉。
 星のかけら、星のかけら、星の──。
「星のかけらと言われたら、そう見えてきます」
 相槌を打つ店主の低い声が耳に届く。決まった文句以外の言葉を発しているのをはじめて聞いた、と思っていれば……
「ロマンチックですねえ」
 客のひとりも言葉を発した。
 再び顔を上げると、先客の3人が3人ともつまみ上げた金平糖をまじまじ眺めている。柔らかな表情でまるで見とれている。
「私、食べたことがあるんです。空から降ってきた金平糖を」
 つぶやくように不思議なことを言う彼女。
 他の者には聞こえていなかったのか、「え?」と聞き返すかのごとく目を見開き彼女を見やっていたのは僕だけだった。
 そしてある夜の出来事がフラッシュバックする。
 勢いで自分が過去に目にした光景を彼女に打ち明けたくなったが、コーヒーをすすっているうちに冷静になっていった頭が「ドラマじゃないんだから」とおのれを揶揄した。

 ☆☆☆

「降ってきたんです、小さな星がたくさん」
 ひとまず近くにある公園のベンチに僕と彼女は並んで腰をかける。
 ベンチにたどり着くまでも、ガラス瓶の中では星が呼吸を繰り返すように瞬いていた。
 この1週間、仕事中や寝る前に幾度と頭をよぎっていた。フラッシュバックした光景と彼女が発した「空から降ってきた金平糖」というフレーズが。
「2001年11月のしし座流星群って覚えてますか?」
「覚えてます、覚えてます。すごかった年ですよね!」
「そう、30数年に一度のピークとかで」
「見たかったんですよ。でも私はあのころまだ小学生だったから、寝ちゃってました」
「当時僕は中学2年でした。見に行ったんですよ、夜中ひとりで」

 やっぱり彼女に打ち明けてみたい。
 今日も先週と同じメンバーが集っていた珈琲店。だけども彼女に声をかけるタイミングが掴めないまま、店内でやきもきしながら時間をやり過ごしていた。
 やがて席をたった彼女が会計へ向かう。
 諦めの気持ちが勝るかと思いきや、予想に反して僕も立ち上がっていた。彼女のあとすぐに会計を済まし店を出る。まだ階段を下っている途中だった彼女の背に向かい、「空から降ってきた金平糖を食べたって本当ですか?」と呼び止めるように僕は問いかけた。
 足を止め振り返った彼女は、見上げて僕の姿を認めるなり「聞こえてたんですね。本当なんですよ」と照れ笑いを浮かべた。

「ひとりで?」
「はい。通学路とは逆方向に進んだところに小高い丘があったんで、あそこならよく見えるだろうと自転車を走らせました」
「怖くなかったですか」
「普段なら怖かったでしょうね。でもあの日はまったく怖くなかったんですよ。むしろホッとしたかな」
「ホッと?」
「道の途中で何組かの親子とすれ違って。みんな揃って空を見上げてるんです。しし座流星群を見るために」
「ああ、なるほど。みんなして空を……幻想的な夜だったんだ」
 想像しているのか、優さんが空を見上げる。
 ほぼ毎週存在を認識したにもかかわらず、彼女の名前が「優」だと知ってからまだ30分も経っていない。

 今年の春に優さんは、空から金平糖が降ってきたのを見たらしい。ちょうど職場では昼休みに入った時間帯で、この不思議な現象の目撃者は多数いるとのことだ。好奇心が勝り衝動的に窓を開けた優さんは、外へ腕を伸ばし降ってきた金平糖を一粒手にすると口に頬張った。まろやかな甘みと食感から、金平糖だと確信したという。
 目立つのを好まない性格なのに、金平糖が降ってくる現象より身体が先に反応した事実の方が不思議に感じられたのだとも。

「だけど、更に幻想的だったのは丘に着いてからなんですよ」
「星が降ってきた、んですね」
「はい、降ってきたんです。小さな星が降ってきたんです」
「たくさん」
「そう、たくさん」
 僕が見たかったのは流れ星だった。
 願い事をしたかった。友達がほしい、と。切実だった。さびしかった、ひとりぼっちが。だからいてもたってもいられず、深夜にひとりペダルを漕いだ。学年が変わると同時に行われたクラス替えをきっかけに、教室内での居場所やポジションを確保するきっかけを掴みそこねてしまったのだ。
 あのころから、掴みそこねたまま現在に至っている感覚が拭えずにいる。どこにいても自身の存在がハマらないような……。
「肝心な流れ星を見た記憶がないんです。降ってくる星に圧倒されて」
「それは圧倒されるでしょうね」
「周りには見えてないみたいでした。丘にはそこそこ流星群を観察しに来てる人がいたのに」
「相田さんだけに見えたんだ」
「誰にも話したことないんですけどね」
 こんな嘘みたいな話を誰が信じるだろう。いや、そもそも話す相手など僕にはいなかった。
「恐る恐る地面に落ちた星に触れてみたら、ほんのり熱があって。幻想や幻視じゃない、これは現実なんだって興奮したなあ」
「わかります。すごくわかります」
「わかりますっていうのもすごいですね」
「ですね」
 僕が笑うと優さんがふふふと声を上げて笑った。その瞬間、急に涙がせり上がってきたものだから慌てて瞬きを繰り返す。
「現実なんだってわかったら、星を拾って持ち帰りたくなりました。だから握りしめて、ポケットに突っ込んだんです。あの感触、今でもはっきり覚えてる」
「じゃあ、持ち帰った星がこの星なんですね」
 迷いなく優さんは僕の手のひらの上を指差す。
「その通りです。持ち帰ったはいいものの、どこうしたらいいのか焦りましたよ。咄嗟に当時妹が、ガラス瓶に入ったビーズを集めてたのを思い出して瓶だけ拝借したんです」
「中身は?」
「ジャーっとビニール袋に。翌日ひどく怒られたなあ」
「でしょうね」
 新しいビン入りのビーズを買ってきても、しばらく妹の機嫌はおさまらなかった。どうしてそんなことをしたのか親にも問われたが「必要だったから」としか答えようがない。
 あの日は家族の誰ひとり、僕が夜中に家を出て行ったことにすら気づいていなかった。こちらから話そうとも思わなかったし、流星群を見に行ったつもりが星が降ってきたから持ち帰ってきたんだなんて、中2の男子が真顔で口にできる話ではない。
「あの夜、確かにこの手で掴んだから。感触を覚えてるから。ひとり暮らしを始めるときも必要な荷物として鞄に入れてきた。先週あなたが、優さんが空から降ってきた金平糖を食べたってつぶやいたのを聞いて、あの夜を鮮明に思い出しました」
 涙が頬を伝う前に、指で拭う。なぜ泣いているのだろう。これはどんな感情の涙なのだろう。
「でも、拾って帰ってきた翌朝には瓶の中は空になってた。学校から帰ってきたあとも、翌日も翌々日もそのあともずっと。それでも蓋を開けようとは思えなかった……」
「確かに相田さんがこの瓶の中に星を入れたから、今光ってるわけですもんね」
「びっくりしてる。どうして光ってるんだろう。はじめてっていうか、あの夜以来ですよ。光ってるのも形を見るのも」
 顔の高さまで瓶を持ち上げる。
 まさしく星マークの形をした小さな星。煌々と光を放つ小さな星。
 覗き込むように優さんがガラス瓶に顔を近づけた。星を見つめる彼女の横顔がぼわんと照らされ、陰影によって微笑む口元がくっきり浮かび上がった。
 ああ、そうか。僕は今、嬉しくて泣いているんだ。
 中学2年の僕の願いは叶わなかった。叶わなかったけれど、誰にも話せなかった話を話せるときがきたことが嬉しい。嘘みたいな話を信じてくれる人に出会えたことがとても嬉しい。
 嬉しくても涙は出るものだったのか。
「蓋、今ここで開けてみてもいいですか」
「開けちゃっていいんですか」
 力強く頷く僕に、優さんもこくりと頷いてくれる。
 コルクを回し最後は手のひらを押しつけ、きつく蓋をした2001年秋の夜。開栓するときのことまで考えてなかっただろ? と過去の自分に問いかけながら、コルクを逆回転させていった。
 やがて2024年の空気が瓶の隙間に流れ込む。つまんだコルクを抜き取り、慎重に傾け再び僕の手のひらに戻ってきた小さな星に「あっ」と声が出る。びくりと肩を浮かせた優さんも「えっ」と僕の顔を覗き込み説明を求めた。
「あたたかい。熱を持ってる」
 手のひらを優さんの前へ差し出す。彼女がそっと人差指の腹で星を撫でた刹那、
「あっ」
 今度は2人同時に声を上げた。
 星が宙を浮いたかと思えば、するする天へ昇っていく。元居た宇宙へ還るみたい昇っていく。
 ただただ僕たちは言葉を失い、頭上を眺めていた。昇っていった星は夜空の点となり、1分も経たぬうちに見えなくなる。それから間もなくだった。
「あっ!」
 再度僕たちは、夜空に向かい声を合わせた。

〈了〉

イラスト

星降る夜空をイメージし織り上げた反物


 最後まで目を通してくださった方に感謝申し上げます。

芳-hana-


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