金平糖【反物とイラストとショートストーリー】
やけにため息が耳に届く日だった。
午前中だけで四方八方から数え切れないほど。
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出先から戻ってきた営業部員が発するため息ならフロア内でこだますることはあれど、出社時に廊下ですれ違った我が社の顔のひとりである広報の青木さん。挨拶を交わす直前、あの艷やかな桃色の唇の隙間から小さなため息が漏れていた。
隣のデスクに座る伊東先輩は、パソコンで一行文章を打ち終えるたび鼻から空気が抜けるようなため息を。内田部長は書類の束に目を通し終えるたび、タコみたいに口を尖らせ腹の底からため息を。
思い返せばビルの入口にいる警備員も、正した姿勢をキープしつつ「ふうっ」と誰かの足音で掻き消されてしまいそうなため息をついていた。
聞き逃さない私もなかなかの地獄耳だが、人のため息を聞くと幼いころからなぜだか自分が責められているように受け止める癖があり敏感になっているのだろう。
居心地の悪さを感じ、ちょっとばかし避難を……と駆け込んだトイレでは、清掃員のおばちゃんが腰に手をあてがい「はあ〜あ」と隠す様子もなく、まるで歌の合いの手にも似たため息を響かせていた。
週が明けたばかりの月曜日。
いくら憂鬱とはいえ、揃いも揃って朝からみんな疲れ過ぎている。オフィス内の空気は、空元気を見せる余裕もない週末のそれと同じだった。
「はあ……」
昼休憩。気づけばカフェオレのカップにストローを挿しながら、自分もため息をついている。
「三井さんがため息なんて珍しい」
さきほどまでパソコンの前で幾度とため息をついていた伊東先輩に指摘された。持参してきたおむすびを頬張りつつ、視線は机に置かれたスマホの画面に向いている。
「感染っちゃったみたいです」
「ウツッチャッタ?」
「感じませんか? 今日の空気」
「空気って、何を?」
「その、なんていうか、今日はまだ月曜なのに……」
言い切ってしまったら午後を乗り切れなくなりそうで、私も持参してきたサンドウィッチに手を伸ばす。
先端部分をかじりつこうとしたとき、ちらと伊東先輩の横顔を見やったつもりが彼女の奥の向こう側。窓の外へと視線がずれた。
「えっ」
違和感を覚え思わず声が出る。
「どうしたの?」
こちらを振り向く先輩を通り過ぎ、やはり焦点は窓の外へ。考えるよりも先にサンドウィッチを手にしたまま私は立ち上がったていた。
「雪が、雪が降ってます!」
同じく外の異変に気づいた他の社員もぞくぞくと窓際へ集まってくる。次いで「おい、外を見てみろ!」と大声をフロア内に響かせたのは、外食組の社員だった。わざわざ7階にあるこのオフィスまで引き返してきたらしい。
「あらら、ほんとに降ってるねえ」隣に並んだ伊東先輩が上を覗き込むようにして窓に顔を近づける。「春に雪? なごり雪? いや、これって霰なんじゃない?」
「あ、確かに。形は霰みたいですね」
「そんなの天気予報で聞かなかったけどね」「はい。週間天気もずっと晴れマークでした」
現に空は晴れ渡っている。
「違うって! ほらよく見てみろよ」再びフロアに声を響かせたのは、外食からの引き返し組のひとりだった。「色がさあ、色が降ってるだろ」
昂ぶる声と「色が降ってる」の一言に、一同がざわめき立つ。この場にいる誰もが青空から降ってくる小さな粒を凝視するのに神経を集中させていた。
雪のようにも霰のようにも見えたそれは、白の合間に赤や緑や黄が混ざり、やがて青や橙、桃に紫と色のついた粒が目立つように降り始める。
一体何が起こっているのか。
どういうわけか混乱するよりも、はじめて目にする光景にうっとり見とれてしまう。
ふわりふわり舞い降りてくる色とりどりの粒。
「あ、これはまるで……」と思った刹那。
カタンッ──。
音の出どころに目を向けると同じ総務部の優先輩が解錠し、窓を横にスライドさせていた。
何の迷いもない動作だった。
優先輩は、開いた窓の外へ颯爽と右腕を伸ばす。反動でシャツの裾が引っ張られ、細く白い手首がちらと顔を覗かせた。
優先輩の登場により、先ほどとは打って変わりフロアは静寂に包まれた。この瞬間は、誰もが彼女の行動に神経を集中させていたに違いない。
風でさらりと揺れる優先輩の黒髪。私よりふたつお姉さんで口数が少なく、常に謙虚な彼女が無邪気な少女のように口角をあげた横顔を浮かべている。
やがてお椀型をつくっていた優先輩の手のひらに、赤色の粒がひとつするりと落ちてきた。そうっと腕を引っ込め、まじまじと自分の手のひらを眺める優先輩。そんな彼女をまじまじと眺め囲む私たち。
「やっぱり金平糖だ」
彼女が発した一言に「まさか」「そんな」「ありえない」とささやく声が飛び交う。
この状況を驚いたらいいのか困ったらいいのか、それとも楽しんだらいいのか。反応している本人たちさえ判断しかねるゆえの誤魔化すような笑いが満ちる。が、雪でも霰でもなく例えるなら他でもない、あれは金平糖なのだ。金平糖! と思ったら、もうそうとしか見えない。色も形も金平糖だ。
きっとみんなも同じことを頭では考えている。ただ、空から金平糖が降ってくる現象に理解が追いつかないだけで。
やがて右の手のひらに乗った赤い粒を、優先輩は左手の親指と人差指でつまみ上げた。目線の高さまで持ち上げ数秒眺めていたかと思うと、至極当然のごとく口に含む。
「あっ!」と目を見開きどよめく観衆。まるで動じないマイペースな当人。
私も目を見開きながら、ひときわ大きく脈を打つ心臓を全身で感じていた。
右斜め前の席に座る優先輩。あのおしとやかな優先輩。なんて大胆な。なんて天真爛漫な。興奮とわくわくが交互に脈を打っているような感覚に包まれる。
「甘い。やっぱり金平糖だった」
直後、私たちは歓声を上げていた。
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「あれって何だったんですかね」
顔を見合わせるたび社員の間では、あの日の月曜日の出来事が現実だったことを確かめ合うやりとりが交わされるようになった。
無論、当日の午後の空気が一変したのは言うまでもない。
人は摩訶不思議な現象を共有し合うと連帯感が生まれる生き物らしい。多忙であっても、忘れられない高揚感に窓の外を一瞥するなり自然と笑みがこぼれてしまう。私も伊東先輩も内田部長だって。
優先輩は職場内で一躍時の人となった。
誰に何を訊かれても「あれって何だったんですかね」と彼女も周りと同じく首を傾げる。
「でも、あれは金平糖だったんですよね?」
そう尋ねられると優先輩は断言する。
「はい。あれは金平糖でしたよ」
言いながら浮かべる微笑みに、あの日から私はぐっと親近感を抱くようになった。
確かに私たちの耳に届いた。
赤い粒を口に含んだ優先輩が、「甘い」と感想を述べたあとにカリッと奥歯で噛み砕いた音が。次いでジャリジャリ咀嚼していた音が。
空から金平糖が降ってきた日。あれから一月が経つ今も、余韻はまだ続いている。
〈了〉
【おわりに】
ここまで目を通してくださった方に感謝申し上げます。読みづらい文章でしたら申し訳ありません。
「空から金平糖が降ってくる」場面を想像しながら織っていたこの反物は、ポーチやペンケースなどの小物製品用の幅で仕上がっています。商品として採用される柄かどうか。正直まだわかりませんが、もしも商品になった際はその写真をこちらに掲載したいと考えています。
これまで織りたい反物のイメージをイラストにはしてきましたが、物語を添えるのははじめての試み。
もちろん見る方によって反物の柄をどのように感じるかは自由ですので、こちら側が強く主張するものではないのかもしれません。ただ個人的に挑戦してみたかったのです。
基本的に手に取ってくださった方がふわっと心が弾むような、そんな気持ちになってくれたら嬉しいとはどの反物にも思っています。
今後もうひとつ【反物とイラストとショートストーリー】をアップする予定でおりますので、そちらにも目を通していただけたらありがたく存じます。
芳-hana-
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