負の引力を振り払った先に
こんにちは。はなぶさりあむです。
前回、ネガティブな情報をインプットしない重要性について書きましたが、それについて深掘りしてみたいと思います。
件の記事はこちら。
ネガティブな情報を摂取することで、得られることはなんなのか。
わたしは、3つの仮定を立ててみました。
1. 同じく辛い人を見て共感している
SNSなどで、うつで悩んでいる人の投稿を見てしまいがちなわたし。
自分と同じような感情や悩みを持っている人を見つけては、勝手に共感し、一人ではないんだと思っています。
ただ、残念ながら、この共感にもデメリットが。
何より、気持ちが引きずられます。
自分の状態が良い時は低調に、低調な時はより悪化してしまう傾向にあるように感じています。
いわゆる、精神衛生上悪いことをしている状態になってしますのです。
これは、共感できることのメリットを上回るデメリットですが、それがわかっていても、ネガティブな情報に引き寄せられてしまいます。
2. 自分より不幸な人を見て安心している
加えて、より悪いことに、「自分より不幸な人」を見て安心することも、実際あると思います。
多分、無意識的にそういった選択をしているのでしょう。(認めたくはないが、認めざるを得ない)
それにより、余計に自己嫌悪に陥り、状態を悪化させます。
負のスパイラルです。
3. 「不幸」という安定から離れたくない
不幸は、続けば日常となり、自分の一部になります。
症状が改善し健康になることは、その安定した不幸からの脱却を意味します。
こんなに喜ばしいことはないはずなのに、なぜか離れがたい。
そんな状況が、ネガティブな情報への執着として表出しているのかもしれません。
わたしは周囲の人の支えもあり、着実によくなってきています。
基本は、少しだるい日があるくらいで、概ね日常を取り戻しています。
それでも、負の引力に負けてしまいそうな時がある。
多分、一生をかけてこの引力に抗い続けることになると思います。そろそろ覚悟しなければいけません。
その負の引力を振り払った先に、わたしの新しい日常が待っている。
それは、真新しい日常ではなく、失った色を少し取り戻したくらいの、至って平凡な未来です。
それでも、その未来を目指していきたい。できれば、その道のりは楽しいものであって欲しい。いや、楽しいものにしていく。
そうすることが「生きていく」ことなのかな、と書きながら形取られてきました。
やっぱり、書くことでわたしはわたしが分かるみたいです。
冗長になってしまいましたが、これが今整理したわたしの仮説です。
どうか、まっすぐではなくても、歩いていけますように。
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どうか、ご無事で。
では、また明日ね。
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