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ToDo人間とやりたいこと

こんにちは。はなぶさりあむです。


忙しい日々を送っていると、時の流れも忘れがち。

立ち止まって考えることもなく、どんどん流れ去っていきます。


最近は体調も良いので、つい仕事や家事に力をいれてしまって、プライベートの時間が充実していませんでした。

でもそれが日常になりすぎて、何も疑問に思っていなかったわたし。


ToDoをこなすことがどんどん得意になり、次々タスクを減らしては、また増えていくタスクと闘っていました。

どうやらそんなふうにToDo人間になることが「大人になること」みたい。

でも、わたしがなりたい「大人」はそんな姿だったっけ?


気づきを与えてくれたのは、友人との時間でした。


いわゆるアラサーになり、結婚・出産・キャリア・親のこと、悩みは尽きません。

いつもながら、お互いのいま抱えていることを話し合うと、あることに気づきました。


友人は、やりたいことと社会的制約の板挟みで悩んでいる。

でも、わたしはそこまで疑問に感じていない。

それはなぜだろう。


思い至った答えは、「わたしに情熱を持ってやりたいことが今ないから」でした。


毎日のタスクに追われ、それとだけ向き合う間に、いつの間にかわたしが本当にやりたいことから意識がそれてしまっていました。


ただ純粋に「あれをやりたい」「こうなりたい」という欲求が抑制され、「これをやるべき」「あれをやらなければならない」に縛られていました。


そういえば、本来のわたしって、好奇心旺盛でワクワクが好きだったはず。

いつの間にか色あせてしまっていました。


いつまでも若くいたいとか、落ち着きたくないとかではなく、ただ「わたしがやりたいように生きられているか」。

その問いに気づいた時、急に虚しさを感じました。


他人や世間の意見に振り回されて、いつの間にか選択権を自分から手放しているのではないか。

自分で選ばないことで、誰かに責任を取ってもらいたいなんて思っているんではないか。


わたしのハンドルをわたしが手放していたら、「やりたいこと」「なりたい自分」は見えてきません。


友人の悩み事から、そんな情けない自分が見えてきたのです。


それを「大人になった」「丸くなった」の一言で済ませたくない。

わたしは、もう少し踏ん張って自分の足で立ってみたい。

そう思わせてくれた、大切な時間でした。


やはり人とコミュニケーションを取ることは、新たな気づきを生んでくれます。

新型コロナの蔓延で、なかなか会いたい人に会えない状況が続いています。

それでも、さまざまな方法を駆使してでも、会いたい人には会い、向き合った話をしたい。

改めて大事なことに気づきました。


それから家に帰って、放置していたやりたいことリストを見返すことに。

頑張って作ったリストですが、「(なんとなく)やった方がいいと言われていること」「(仕方なく)やるべきこと」「(心から)やりたいこと」が同じレベルで書き込まれていました。

これでは、やりたいことのブラッシュアップはできなさそう。

もう一度自分に向き合って、いまやりたいこと、なりたい自分を、磨き上げていきたいです。

もちろん、ゆっくり時間をかけて。


大切な友人と気づき、そして自分に向き合う時間の大切さを感じた週末でした。


それでは、またね。

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