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リビング・イン・ニア・トーキョー #11

 雨が降っている。
 窓を開けると、ささやかな「しとしと」音。しかし、ささやかに聞こえるくらいの降り方のときが、いちばん濡れることを僕は知っている。

 心は、停滞感を覚えていた。
 とってもわかりやすく言い換えると、「だるい」。そわそわ感があって、何かをしたいのだけれど、何をしたいのかがいまいち浮かばない。あれもこれも、なんだか気乗りしない。とにかく、時間が過ぎてほしい。月曜日になれば、仕事に没頭できるから、この「だるい」も消えるのに...そんな感覚に襲われる。

 この歳になって、天候によってこうも心が変わるものなのかと驚かされている。車を売ったことで、天候を気にせず移動する手段が失われたことも、心の変化に一役買っているかもしれない。あとは、一昨日届いた「住民税納付通知書」に書いてあった金額が脳裏をかすめている。そうですか引っ越したらこのタイミングで届くんですか...。

 自分の思い通りに何かを行うことができない。これは苦痛だ。
 主体性が制限されていると感じた時、人は不安になり、やる気をなくし、抵抗する。それが結果的に不利益をもたらすことになったとしても、人はなぜか主体性を持ち続けていたい。その方がなんとなくやる気になる。そして僕は、金欠とか雨で濡れるとかで行動を縛られて鬱屈とするぐらいなら、多少身を削ってやる気を出したい。

 つまり必然的に、僕もまた主体性を取り戻すための戦いを強いられることになる。さて、この「だるい」心をどうやって動かそうか?2時間ほど悩んだころには、時計の針は10時を回っていた。2時間も悩むというあたりが、「だるい」とはどのような状況であるのかを端的に表している。


 悩んだあげく、やっぱり外に出ることにした。「未知なるものに触れる」ときに、自分の心はビカリと輝くということを、僕はこの半年で学んだ。それを教えてくれた養老天命反転地の衝撃が、また少しだけ蘇り、得たものだけを残して消える。

 そういえば、靴べらが欲しかった。水筒を洗うためのブラシも欲しい。食べ物もだいぶなくなってきた...買い物に出かけよう。近くの駅から電車で行ける、できるだけ行ったことのない、ちょっと大きめのところ...。


 たどり着いたのは、津田沼。


 電車で何駅かのところにあるこの街に来るのは初めてだった。
 ペデストリアンデッキがなんとなく故郷を連想させるが、それにしては小さい。そして、全体的に、どことなく古びている。何しろ、「PARCO」のロゴが、赤と青と緑の見たこともない、パチンコ店の看板のようなデザインになっている。
 PARCOといえば、白一色のそれだ。どっちが新しいのか?知らないが、わかる。たぶんこのパチンコ店のようなデザインの方が明らかに古い。あれでビカビカ光ってたら完全に故郷のパチンコ屋と変わりない。

 なんだか、奇妙な違和感がある。
 デッキを降りて少し歩いても、その感覚は変わらない。この違和感がまた面白い。ちょっと前に日本を一回りして、ひととおりのものは知った気でいたのに、まだまだ知らない感覚がある。
 しかし、この感覚は、どうにも難しい。なんだか、説明できそうな気がしているのだ。なんだろう。これはなんだろう。探していくうちに、一つの答えのようなものを見つけた。


 それは、ビルの4階にあった。

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 このゲームコーナー!
 本やら服やら雑貨やらが売っているエリアの隅っこの1コーナーで、よく分からないキャラを掲げてひっそりとたたずんでいる。これを見つけた瞬間、僕の心にあった奇妙な違和感の正体が明らかになった。クリアになっていくのは、記憶だ。

 そうだ!
 津田沼でいま見ている風景は、20数年前に、故郷で見ていた風景そのままだ。

 ビルの中を歩く。
 そうだそうだ、ああ、懐かしい風景...奇妙な違和感を説明できそうな気がしたのは、この風景をなんとなく知っていたからだ。低い天井。ちょっとボロいエスカレーター。ストリートとまるで境目のない本の売り場もそう。ハンドメイドで作られたと思しきフロア案内...。きっと昔は最先端だったのだろうものたちが、歳月をかけて、全てが微妙に、絶妙にズレている。

 動揺した。
 すでに思い出となっていた、絶滅したはずの光景が目の前に広がっていたからである。あとは、小さなフードコートがあれば間違いない。そう、あのショッピングセンターは、自分が高校生ぐらいになる頃にはすっかり寂れてしまい、あの地震がとどめになって物理的に消え去ってしまった。

 1階にはよく分からないおもちゃ売り場、2階にはよく分からない本屋、地下にはレストランとピアノ教室...そこまで具体的に同じであるとはいかないが、子どもの頃から何年も通っていたあの場所を思わせる空気が、なぜかここに広がっていた。うまく言い表すことができないが、きっと故郷の友達に言えば分かってくれる、そんな空気だ。

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 新しい体験だった。
 というのも、この手の空気感というのは、故郷ではすっかり淘汰されていたからである。地元の人たちが集まる小さなショッピングセンターというのは、10年ほど前にはすっかり集約されるか、取り壊され建て直されていた。あの日の空気、あの雑多な空気を纏っているものは、もはやほとんどない。

 そんな故郷を、僕は心のどこかで「古い街」だと思っていた。でも、別にそんなことはなかった。「古い」という表現が似合うのは、むしろよっぽどこのビルとこの駅舎の方である。井の中の蛙、という言葉が頭に浮かぶ。

 この空気を保ったまま、2020年までいられるはずがない。いられるはずがなかった。なのに...外に出て外観を眺めると、その気持ちはさらに強くなる。町全体が、その感情に覆われている。


 形容できる言葉が見つからない。「ノスタルジア」「郷愁」と一言で説明するには、この感情は繊細すぎるのである。まさか、新しさを求めにやってきた土地で、自らの古い記憶を掘り起こされるとは思ってもみなかったのだ。

 なんとなく、日食なつこの曲が聴きたくなった。流してみると、ピアノのレッスンを終えて、地下から1階に上がったところの小さなベンチで、オレンジ色のバッグを抱えて母親の迎えを待っていた、5歳の自分の姿が脳裏に浮かんだ。


 5歳の自分が、津田沼にいた。


雨の音に包まれた感情が、静かに静かに、高揚を湛えながら流れ込んでくる。

心が、ビカリと輝く。

小さくて、古くて、知らないのに、懐かしい。新しい街。

これは、「未知なるもの」だ。


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 靴べらと、水筒を洗うためのブラシと、それなりの食べ物を買って、家路に着くことにした。時計の針は13時を差していた。別に時間をかけて回るつもりもない。それでいい。

 こんな街もあるのだなと思う。雨風でびしょ濡れになりながら、それでも僕はなんとなく、悪い気はしないでいた。

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