誰にも嫌われない人=都合のいい人

らしい。
めっちゃ腑に落ちたよね。

私も周りの求める自身の姿を作って、他社や社会と関わることがある。
それが疲れちゃったんだよね。

結局私って私の好きな自分でい続けたいんだって。
でもそのためには1番自分自身のことを分析化して理解してあげて受け入れてからだなと感じた。

何かことあるごとに頭の中で自己分析をし、自分を客観視し問いかける日々。
その結果、私は周りに感謝はしているし、この社会に生かされていることもすごく感謝をしている。だけど自立心がかなり強くて模索した上で開拓していくのが非常に好きみたいだ。

女の子は可愛げがあって、少し弱いくらいが恋愛においてはいい、って思いすぎていた。私は今の私でいいんだ、その私を好きになってくれる人を大切にしたい。

誰にも好かれる人はいないってよく聞くけど、その事実を受け入れて自分軸で物事を決断している人はかなり少ないように思う。
私自身も友達が期待する自分の姿に無意識になりきって、相手の価値観に合わせる。そんな日々にため息が出た。

そんな中、沖縄に来て、自身だけの空間で、ただ自分を楽しむ時間。
幸せでたまらなかった。
人を尊重している限り、私が好きなことを追求して継続していきたい。
そういう自身で開拓するような道を選んだら、同時に責任感も出てくるし、流されて生きるのとは全く違うプレッシャーを感じるようにもなる。

だけど、自分のありのままの姿を隠して対人関係を築いても何にもならない、いざとなった時いつも側にいてくれるのは自分だと気づいたその瞬間から、私は人に無駄な期待はしなくなった。
そしたら、スッと心が楽になったし、私のための人生を築くために意識を向けることができたような気がした。

私の好きな姿を受け入れてあげて、好きな自分になるための努力を惜しみたくない。築きたい環境を形成するために、やりたくないことをやってもいい。

私は自身の内面から溢れ出る好きという気持ちを大切にしたいし、それがある意味自分に素直で誠実でいてあげることだとも思う。

私の人生だから、私のしたいように生きる。
そのための責任を取りたいし、精神的にも経済的にも自立した人になりたい。
同時に、地に足を着いた愛嬌のある可愛い女性にもなりたい。

そんな私になれるように私のどんな姿でも大切にしてあげたい。

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