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開店前のスーパーに並んだ日

 2011年3月10日の夜。
 私は夫と珍しく喧嘩をした。
 それは物を投げつけ合うような喧嘩ではなく、ボタンの掛け違いの気持ち悪さが、互いを苛立たせたような喧嘩だった。

 翌朝、私は昨夜の腹立たしさを引きずったままだった。夫は仕事に出掛け、私は感情に引きずられたまま何もする気が起きず、
「もういい!何もしないで寝てやる!」
 と決め込み、布団をかぶったまま、ふて寝していた。

 午後になっても布団から出ようとしない。起きて家事の一つでもしようものなら、負けのような気がした。布団から出ないことに意地になっていた。目が覚めれば腹を立て、また眠りにつくといった、うつらうつらした意識の中、私は時間を貪り食っていた。

 そんな怠惰な時間を過ごしていた私は、大きな揺れで飛び起きた。

 家全体が揺さぶられ、玄関のドアを開けようと立ち上がったら、オーブンレンジの上に置いてあったオーブン用の鉄板が吹っ飛んできた。最初に揺れを体感し、これはまずいと思ったが、鉄板が飛んだのを見て、視覚的にも緊急事態であることがわかった。

 少しして、携帯に夫から電話が来た。昨夜のわだかまりなど、先程の大きな揺れで吹き飛んでいた。夫は、建物の外に出て避難していると言う。互いの無事がわかり、ホッとしたのも束の間、携帯も固定電話も一切繋がらなくなった。

 テレビではとんでもない地震が起こったことを繰り返し伝えていて、私はただ何もせずにそれに見入っていた。当時私が住んでいた東京でも、震度5弱を観測した。

 夜になり、電車も動かず、交通網は麻痺していた。夫が帰宅できるか不安になったが、連絡もつかないし、家にいる私はどうすることもできない。相変わらず、私は無力で役立たずだと思った。

 深夜12時近くなり、ガチャンと部屋の鍵の開く音が聞こえた。すぐに玄関のドアが開き、夫が息せき切って、
「自転車で帰ってきた!」
 と言った。
 夫の職場は最寄り駅から徒歩25分と遠かったため、駅近くに駐輪場を借りていた。電車が動かず、徒歩で帰宅する人も多い中、その自転車は、あの日の大事な足となったのだった。

 このままでは翌朝になっても電車が動かない可能性がある。
 夫は、明日早めに家を出て、自転車で通勤すると言った。そして私も、自分なりに何か対策をしないといけないという思いに駆られていた。ゾワゾワとした不安が収まらない中、とりあえず布団をかぶった。

 翌朝、私は開店前のスーパーに並んでいた。
 必要なものを、今のうちに買っておこう。単純にそう思ったのだ。しかし、いつもより人が多い。やはり皆、考えていることは同じなのだと思った。

 買い物をして、それなりに食品のストックもできた。そのことにホッとしたものの、数日後、私のとったこの行動は、メディアで一斉に非難を浴びることになる。

 仕事を終え、買い物に行っても、品物がない。
 夜を待たずして、食べ物や、必需品が買い占められてしまう。午前中に生活必需品が買えない人は多い。仕事帰りにスーパーに寄る度に、空の棚を見せられる。必要なものが手に入らないという困窮した状況は、震災後、買い占めに走ってしまった人への批判に繋がった。

 震災の状況を知るためには、どうしてもテレビやラジオをつける。
 その度に繰り返される、買い占めへの非難。私はその非難を、震災翌日に、開店前のスーパーに並んでしまった自分に向けられたものだと思った。

 買い占めてやろうなんて、思ってはいなかった。思っていなくても、物が無くなった責任の一端が、開店前のスーパーに並んでしまった自分にある。実際、あの日は夕方になると、パンなどの食料品がごっそり無くなっていたそうだ。

 それでも、心のどこかで、「仕方がなかったんだ」という思いが沸き上がる。しかし、そう思ったまま平気な顔は出来なかった。私は申し訳なくて、後ろめたくて、息が苦しくなった。「仕方がない」と思うこと自体が、許されないことのように感じ、ほんの一瞬でも「仕方なかった」と思ってしまった自分を責めた。

 日に日に、買い占め行為をした人への非難が、憎悪になっていくように感じた。人や建物が津波に流され、多くの悲劇が伝えられると同時に、メディア、ネットで繰り広げられる買い占め批判は、私の中で徐々に歪み、違う言葉に変換されるようになった。

 震災後すぐにスーパーに走ってしまったお前みたいなやつは、愚かで、無能で、自分勝手で、許されない人間だ。善良な人々が津波に流され亡くなったのに、なぜ買い占めに走るような醜い人間が生きているのだろう。

 お前が死ねばよかったのに。

 私は部屋でひとり、続く非難に耐えきれなくなった。
 直接責められているわけではない。それでも非難の的が自分に向けられているように感じた。この非難は、あの日、開店前のスーパーに行ったことへの罰なのだとも思った。

 気が付けば私は、部屋の隅で柱に頭をぶつけ続けていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい………」

 口からとめどなく溢れる謝罪は、震災の惨状を伝えるラジオの音声と共に、まるで念仏のように部屋に響いていた。

 自分たちが困らないようにすることが、誰かを困らせる。そんなことに思い至らなかった自分を、私は責め続けた。責めることで、ズルい私は、世間に許しを請おうとしたのかもしれない。

 スーパーでの需要と供給が安定してきたと同時に、買い占め批判は、潮が引くように無くなっていった。そのことに安堵した自分が嫌だった。

 2020年、疫病が流行し、買い占めがまた批判されることとなった。
 それは、自分の頭を打ち付けていたあの日のことを、否応なく思い出させた。

 あのとき、私はどうすればよかったのだろう。

 私はその答えを未だに見つけられずにいる。そして震災から12年経った今でも、私はあのとき抱えた罪悪感を思い出しては、柱に頭を打ち付けたい気持ちになるのである。






 

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