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サイコパスな餅

ある日、餅を食べる私に向かって、母がこう言った。

「慌てずにゆっくり食べなさいよ。お餅で死ぬ人だっているんだから」

青天の霹靂とはまさにこのことで、
当時、10歳に満たない子供であった私は、餅で人が死ぬという事実に
驚きを通り越して恐怖を感じた。母に理由を聞くと、

「喉につまらせて息できなくなって死んじゃうのよ。
口開けて、掃除機で餅を吸い取って助かった人もいるらしいけどね。
苦しいわよ、絶対。だから、よく噛んで飲み込まないと危ないのよ」

一度は母の冗談かと疑ってみたものの、どうやら本当らしい。
私は途端に、この目の前の食べ物が恐ろしいものに思えてきた。

餅は、真っ白で、いかにも人の良さそうな見た目だ。
魚の骨と違って、喉を傷つける要素はゼロに近い。

ワタシ、甘さもしょっぱさも、大根おろしや納豆だって受け止めます!

こんな懐の深い餅が人を殺すなんて、サイコパスが過ぎる。
マスコミの人がインタビューにやってきたら、
私は思わず、こう言ってしまうだろう。

「そんなことするような餅には見えなかった」

母としては、がっついて食べる私に
用心してもらおうと話しただけなのだろうが、
餅イコール死、というインプットは、幼い私にとってかなり強烈だった。
それ以来、餅とどう向き合ったらよいか、私は苦悩することとなる。

食べない、という選択肢もあるのだが、
毎年、近所の自治会で餅つき大会をやっていて、
そのつきたてのお餅が本当に美味しいのだ。できれば食べたい。
しかし、気をつけないと死ぬ。では、どうするべきか。

ゆっくり噛んで飲みこむ。

これしかない。私は実践に移した。
しかし、餅を噛んでいるうちに私は思う。

どこまで噛んだらいいのかわからない。

餅はいつまでも粘りがある。物体が残る状態で飲み込むのは不安だ。
ある程度液状化しないと、安心して飲み込めない。
私は一つのお餅を完食するのに、
30分近い時間をかけるようになってしまった。
そうなると、食べるのが面倒くさい。
徐々に私は、餅を食べなくなっていった。


それから長い月日が流れ、私の前に、一人の男が現れた。
新潟県出身、米どころが生んだ男、私の夫である。

夫の焼く餅は、磯辺焼き一択。
そのまま餅を網で丹念に焼き、膨れたら醤油につけ、また焼く。
醤油が乾いたら、また醤油をつけ、今度は海苔を巻いて焼き、
海苔の下で餅がふっくり持ち上がったら、出来上がり。
説明は短いが、かかる時間は長く、気の長い人でないと焼けない。
焼けた餅に醤油つけて、海苔巻いて、ハイッ!
と、差し出す元気な磯辺焼きとは違う。醤油の濡れた感じがしないのだ。
表面は煎餅のように香ばしく、噛むと中から、
みょーん、と、とろけるチーズの親戚のような伸びをみせ、
真っ白なお餅が登場する。
もち米の香りが鼻を抜け、舌の上でやわらかな甘味が広がる。

私は、年々、夫の磯辺焼きを食べているうちに、
いつの間にか、普通に餅が食べられるようになった。

夫のおかげで、餅の食べ方を完全にマスターした私は、
今ではすっかり、正月以外にも、快適な餅ライフを楽しんでいる。
2020年は、餅のせいで銀歯が2回も取れ、
餅のサイコパスっぷりを久々に感じた1年だった。

さわやかで良い声の、若きイケメン歯医者さんに、

「そんなに、普段からお餅食べるんですか?!」

と言われたのはいい思い出である。





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