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努力できなくてもいい。


「努力は必ず報われる」そんな言葉がありますが、私は、努力を「誰でもやればできること」だとは思っていません。また、「必ずやらなければいけないこと」でもないと思っています。


私は小さい頃から、どちらかというと「努力家タイプ」でした。


勉強も質より量といった感じで、高校受験期・大学受験期とにかく死ぬほど勉強したのを覚えています。


一方で、私には大の仲良しである妹がいるのですが、彼女は私とは全くの正反対。「努力苦手タイプ」です。


しかし不思議と、私と妹の間に「学力の差」はあまりうまれませんでした。「勉強時間の差」はかなりあり、圧倒的に私の方が多かったですが、結果、「学力の差」にはほぼ結びつかなかった。


当時、そのことで妹に対して少し劣等感を持っていたのを覚えています。「妹はあまり勉強していないのに、私と同じくらいの点数をとるのか・・・」と。


一方で、妹も私に対して少し劣等感を持っていたようです。母や祖母がよく私と妹を比べて私の方を「努力家だ」と褒めたからです。


でも自分でもつくづくひねくれていると思うのですが、「努力家だ」と誰かに言ってもらうたびに、「私って、他人より遠回りしないと他人と同じ結果が得られない人間なんだな」と少しだけ悲しくなるのです。

また、やっぱり自分より勉強時間については楽をして(そう見えただけかもしれませんが)志望校に受かった妹に対しては、嫉妬というか「なんで努力みたいに誰でもやればできるようなことをやらないんだよ!怠けてる!」と思ってしまった時期もありました。


そんなこんなで、私も妹も大人と言われる年齢になりましたが、その真反対の性格はどちらも変わっていません。学生時代ほど色濃くはないですが、大人になった今もお互い「努力」ということに関して、劣等感を持ったままでした。


しかし、最近何気なくTwitterを見ていたところ、こんなツイートを見かけました。

このツイート自体もバズってましたし、ドラゴン桜は有名な漫画なのでこのシーンをご存知の方も多いかもしれません。


しかし私はお恥ずかしながらこちらの漫画を初めて見たので、衝撃でした!


「努力できる脳・できない脳がある」。大事なのは自分の脳に合った工夫をすること。


きっと、私は「努力できる脳」で、妹は「努力できない脳」だったんだ。


私が「努力しなければいけない」のは、私が周りより劣っているからじゃない。私が「努力しなければいけない」理由は、それが私に合ったやり方だからだ。だから、「私は遠回りをして初めて他の人に追いつくような人間なんだ」「私は損しているんだ」と悲観的になる必要もない。


この話は妹にもすぐ伝えました。妹も「努力ができない」ということでずっと悩んでいたみたいですが、「努力をしない」というのは決してダメなことではなく、それが自分に合ったやり方だった、ただそれだけだったんだと思い、ホッとしたとのことでした。


「努力しないとできない」、「努力できない」。それはその人の弱点ではなく、ただの個性。

それが分かって私は、努力は「誰でもやればできること」でもなければ「必ずやらなければいけないこと」でもないんだと思えるようになりました。


今日のnoteは以上です。お読みいただきありがとうございました。


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