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「自分のやりたいこと」を無理に優先しなくていい

「大人になる」ってどういうこと?


ある時、Yahoo!知恵袋を見ていて目に止まった回答の一文がありました。


「いい加減大人になってください」


質問の内容はこうでした。「私は●●をやりたいと思っていますが、親は〇〇をやれと言います。どっちを選ぶべきですか?」


それに対しての回答がこの一文だったのです。


私はその一文を見て、「大人になること」を考えました。


「大人なんだから、親に言われたことより自分でやりたいことを優先すべき」


きっとその「大人になってください」の一文は、そんなありきたりな意味で書かれたものではないと、直感的に思いました。


実際、「親に言われたことより自分のやりたいことを優先する」ということの難しさは、一度この壁にぶち当たったことがある人は理解できることだと思います。


「大人になる」この言葉の意味は

「親の気持ちより自分の気持ちを優先する」この一言には収まりきらない。


では「大人になる」って、どういうことだろう。


私は思います。きっと、「自分で決めること」だと。


今回は、自分なりに考えた「大人になることとは、自分で決めることだ」という主張の内容を聞いていただければと思って書いていきます。


「自分で決める」ということ



「大人になることとは、自分で決めることだ」


でもそれってさっきの「親の気持ちより自分の気持ちを優先する」のと何が違うの?


私は、「自分で決める」とは言い換えるなら、「何を選択するのかだけでなく、何を優先して選択をするのかまで、自分で全て決める」ことだと思っています。


人間は誰でも、いくつかの「判断軸」を自分の中に持っています。


そして何かを決める時、まずその「判断軸」のどれを優先するのかを決めてから、最終的に何を選択するかを決めているのだと思います。


例えばランチでどこで何を食べるかを選択するとき。


その判断軸は「価格」、「今いる場所からの近さ」、「提供時間の速さ」、「美味しさ」、「ヘルシーさ」など、色々ありますよね。


まず、それらの判断軸から何を優先して何を優先しないのかを決める。


私は最近太り気味だから、「ヘルシーさ」を第一優先に。給料日が昨日だったから「価格」は後回しでもいいな、みたいな風に。

そして、最終的にどのお店で何を食べるのかを決める。


「自分で決める」とは、この「判断軸」の選択も含めて全て自分で決めることだと私は思います。


もちろん人が「自分で決める」場面は、ランチに何を食べるかという場面だけではない。


例えば進路を決めるとき。これを決めるときにも、人間はそれぞれ自分の持つ判断軸を並べて、何を優先するかまず決める。それが「自分で決めること」だと私は思います。


「自分がやりたいことなのかどうか」「給料面で安定性があるかどうか」「住みたい場所に住み続けられるかどうか」、「ステータス的なものはどうか」そして「親がどう言っているかどうか」などなど。


そしてその判断軸を自分の優先度順に並べる、そして最終的な進路を決める。


「自分で決めること」とは、このように最終的な選択にたどり着くまでに、判断軸の優先度を決める・そしてその上で結論を決める、というように「2度決める」ことなのではと私は考えています。


「自分のやりたいこと」を優先しなくてもいい


だから先ほど出てきた「親に言われたことより自分がやりたいことを優先して決める」ってことだけでは、「自分で決めた」ことには、きっとなっていないんじゃないかな、って思うんです。だからそれって「大人になること」だとは言えないんじゃないかなと。


大人になったら「自分のことは自分で決めろ」というけれど。


本当に「自分がやりたいかどうか」だけでは決められないことって、すごく多い。

そして「自分がやりたいかどうか」だけで決めるのが不得意な人もいると思うんです。


だから「自分がやりたいかどうか」の判断軸だけで決めなくていい。きっと、それだけが正解じゃない。


自分で自分なりの「判断軸」をまず並べてみて、一つずつ優先順位をつけてみて。優先度の一番が「自分がやりたいかどうか」じゃなくてもいい。一番が「親がどう言っているか」になってもいい。それは人それぞれで、その優先順位は紛れもなく「あなたが自分で決めた」順番。


そしてその上で、最終的な選択をすればいいと思います。


それがきっと「自分で決める」ということで、「大人になる」っていうことなのではないかな、と私は思います。












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