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やりたいことをする時間があるのに、ぼーっとしてしまう

今日は夜にnoteを書こうと決めて、時間も確保した。PCも開いてすぐに書ける状態にした。投稿期限は明日までと決めている。なのに、PCの前でひたすらスマホを見てダラダラしてしまったり、特に何もせずぼーっとしていた。


こういうことは学生の頃からあった。勉強計画を時間ごとで管理しているのに、開始時間になっても勉強しなかった。図書館に行って調べ物をする時も、椅子に座ってスマホをただいじるだけ。

そしてやりたいことをする時間が無くなり、ただ時間だけが消費されていく。これって、やっぱりスマホを見てしまう環境がいけないのだろうか?


以前、スマホを触れないようにするアプリを使ってnote執筆をしていたことがあった。そういえば最近使わなくなったなぁ。

そもそもそのアプリを起動するのにも当然スマホを使うので、起動前に色々触っているうちに時間が過ぎたこともあった。何なら起動中に中断して、スマホで気になる情報を探してnote執筆がそっちのけなこともあった。


私がぼーっとしてしまう原因の1つは、確実にスマホだろう。しかしながら、スマホを見ずにぼーっとしていることもある。その時は大体考え事をしている。

考え事の内容は、最近あったことについての内省や、「あの本が読みたい」「noteを書かないといけない」「やりたいことをやらなきゃなぁ」など……。それらがぐるぐる頭の中を回っている。

頭の中が考え事でずっとぐるぐるしているから、行動に移せないのだろうか?だったら、その頭の中にあるやりたいことを書き出して整理すればいいのでは?

また、私のやりたいことはとにかく多く、どれも重要度が高くて、優先順位が付けられない。であれば、書き出して整理したものに、優先順位を付けていけばいいだけだ。

しかし、その書き出す作業自体をするために動くのが、とてつもなく面倒くさいのでできない。ぼーっとしている時は、どういうわけなのか体が重い。


「面倒くさい」「できない」と言い訳して何も行動しなければ、私は一生時間の使い方が下手なままだということは分かっている。だけど、言い訳する自分も自分自身なので、強い言葉で自分を責めたくない。

今までは言い訳する自分が嫌でたまらなかった。完璧でないかっこ悪い自分が許せなかった。計画通りに動けない自分にあえて厳しくしていたこともあった。それでも計画通りには動けることの方が少なかった。


なので、言い訳する自分や、計画通りに動けない自分、やりたいことをする時間があるのぼーっとしてしまう自分を、「でもこれが私だしなぁ……」と思うことにしてみた。

noteの毎週投稿が間に合わなくて、つぶやきで済ます。思い立って下書きを書いても完成に至らない。手帳を買っても白紙のまま。タイムスケジュールを決めても何もしない。それが私だ。

この時感じているものは、怒りや呆れ、開き直りや諦めとはまた違うものだ。現在の自分を、感情抜きで見ているという感じに近い。「今そこに、ぼーっとしている私がいる」というような感じ。

自分のことを感情抜きで見つめるのは、大事なことなのかもしれない。ぼーっとしている私を冷静な目で見つめた結果、やりたいことをするためにまた計画を立てるかもしれない。


行動に対するアドバイスももちろん大事だが、まず自分の今の状況をただ冷静に見ることで、程よく肩の力も抜けてくる。必要以上に自分を責めず、「アドバイス通りにしたのにできなかったらどうしよう」という不安も少なくなる。

よし、明日はスマホを触らず、noteを書くタイムスケジュールもしっかり決めておこう。もしできなかったら、またその時に「これが今の私か」と自分自身を見つめることにする。


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